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リンゴの味を変えるもの 2013年 12月 25日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
今年の春 長野県松本市の農園が リンゴの木のオーナーを募集する記事を目にして 応募したところ、ご縁あって当選した。 夏には 現地に伺って 自分の木を選び、名札を取りつけた。 そして実りの秋。月中旬の土日に 家族総出で収穫しに出かけた。 澄んだ青空に映える 真っ赤なリンゴ。 少し小ぶりなそのリンゴは 歯触りがしっかりとし、味も濃い。 できれば、孫たちに 毎年、リンゴが実る様子を実際に見て 自分の木のリンゴを 自分の手で収穫するという経験をさせてやりたいと 農園主に相談したところ 快諾していただき さっそく 「我が家の木」を決めてきた。 今度は、花が咲くころの様子なども 見てみたいものだ。 我が家では 登校前に孫たちが 朝の挨拶にやってくるのだが この時に、必ず、果物を食べさせながら 少し話をすることにしている。 三男坊の孫は 果物があまり好きではないらしく いつもは、リンゴなら一切れ食べるかどうか というところなのだが 先日、我が家のリンゴを出すと 「これ、あのリンゴだよね」と言いながら あっという間に二個分ほどもたいらげ 元気に出かけて行った。 自分の目で見、手で触れ、肌で感じた リンゴ園の情景をおもいながら食べることで リンゴはより一層大切なものとなり 一味もふた味も違うものになる。 彼の中で 果物に対するおもいが 少し変わったのだとしたら 「我が家の木」の力だ。 これからも、孫たちには 食に限らず、何事も できるだけ本物を経験させてやりたいと、おもう。 ところで 実際に経験すること、現場を見ることは 我々大人にとっても、大変重要なことだ。 特に、職務上、管理する立場にある人間ほど 現場の状況を把握し そこで働く人たちの気持ちを汲まねばならない。 そのためには 現場に足を運び、実際に見ることが必要である。 それをせず、単にマニュアルを作ったり 指示を出したりしたとしても それは机上の空論であり、生きた仕事ではない。 残念ながら、一昨年から 練馬区では行政の不祥事が続いてきた。 同じような不祥事が続く原因は 管理する側が現場の実態を知らず 現場は自分たちのやり方しか知らないために 必要で的確な改善ができない という状況に陥っているからではないか。 もっと現場を見て問題点を把握し 改善策をどう立てるか 管理する側と現場が きちんと協議し対応を決めれば ミスや不備は減らせるだろうし お互いの顔が見える関係であれば もっと緊張感を持って、仕事に臨むことができるだろう。 不祥事が起こる 根本的な原因をもっと真摯に考え、反省し 自分たちの仕事の仕方が どうあるべきなのか 区職員のみなさんには 今一度、きちんと考えてほしいものだ。 翻って、私自身も 政治家として もっと現場に行き そこで目にし、耳にすることを 施策に生かす努力をしたいと、おもう。 我が家のリンゴの木がつける しっかりと歯ごたえのある、味の濃い あの赤い実のような仕事を ひとつでも多くできればと 年の瀬、一年を振り返り 新しい年に向けて 気を引き締めているところだ。
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パンダと子育て 2013年 9月 13日
子育て支援
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
朝晩の 少しひんやりとした空気に いよいよ秋の訪れを感じる この頃だ。 記録的な猛暑となった今年の夏 子どもや孫と一緒に 動物園や水族館へ出かけた方も多いだろう。 日中関係の緊張もあり 賛否両論ある中で 上野動物園にパンダがやってきて 早2年半が経った。 パンダが戻ってきてから 上野動物園の入園者数は 順調に増加しているそうだ。 今年もまた パンダの赤ちゃん誕生に 期待が高まったが 残念ながら そうはならなかった。 まだ若い2頭だから 今後 かわいい子パンダを見られることを 期待しよう。 ところで 日本でパンダを見ることができる動物園は 3か所ある。 そのうちのひとつ 和歌山のアドベンチャーワールドでは これまで12頭の赤ちゃんパンダが誕生している。 先日 インターネットのニュースサイトで 同園について書かれた 興味深い記事を読んだ。 ここでは、パンダの飼育、繁殖について ある方針があるのだそうだ。 一般的に パンダは夏に生まれて 早ければ1年2、3か月、長ければ1年半で乳離れし 乳歯が抜けて永久歯に生え変わると ようやく竹を食べられるようになるのだが 同園では この期間には 新しい子どもを身ごもらせず 子育てに専念させている。 個体数を増やすことを目的とすれば 中国の繁殖施設のように 毎年、繁殖期に人工繁殖させ その後は人工保育する方が 確実で早いのだが ここでは、あえてそうしないという。 その理由は 「子どもパンダが、お母さんを見習えるようにするため」 なのだそうだ。 育てられた期間が長いほど 母親の行動を覚えていて いいメス、いいオスになる。 わざと1年半ゆっくりと子育てさせるのです 同園の業務課長さんの談である。 母親パンダにとっても、 2年に一度の ゆったりとした子育てならば 余裕が生まれ 次の子づくりにも前向きになるのだという。 人工飼育のパンダは 子育ての仕方がわからず 育児放棄をしてしまうことも多いそうだが 今、初めての子育て中の 同園の母親パンダは、 際立って子育て上手だったその母親のように 子どもの扱いがうまく 「子育てするのは当たり前」 だとおもっているようにさえ 感じられるほどなのだという。 パンダにも 親のそばにいることで 身につけていくことがある。 人間も同じだと、おもう。 生まれてから 乳離れするまでの間の ほんの数年間でいい。 ゆったりと、我が子と向き合い 子育てに専念できる環境にあれば 親はちゃんと親になり 子どもはその親の姿を見ながら 育っていくにちがいない。 それが難しい社会になったことが 少子化の進行や 虐待など子育てに関する問題の増加に つながっているようにも、おもう。 我が子の肌を離さない子育てができるような そんな施策が実現できないか。 これからの 私の政治課題である。
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第2回定例会 一般質問③ 2013年 6月 11日
定例会
上野 ひろみ
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
【質問①】「少子高齢化による人口減少」、二つ目に「建物の老朽化による建て替え問題」、三つ目には「建て替え時の住民および関係権利者による、土地や建物の使い方」についてであります。 そこで、いくつかお伺い致します。区としてこれら難題・課題にどう取り組んでいくおつもりなのか、まずお聞かせ下さい。 また、区はこの度、建築基準法第86条のもとづく、「一団地認定」にそなえ、認定区域において、建築物の現況調査に取り組まれております。このことは、将来の「光が丘」を、更に「魅力的なまち」として行くための、極めて重要なきっかけになると認識しておりますが、この調査の目的と内容について、お聞かせ下さい。 また、調査を実施するにあたっては、関係事業者や権利者の理解と協力が不可欠であると考えます。充分な理解が得られるよう、適切な説明を行い、関係事業者が中心となって調査を実施し、調査に協力するにあたって、住民に大きな負担が生じないよう、最大限に努力して頂くことを要望致しますが、いかがでしょうか。区のご所見をお聞かせ下さい。 【答弁①】現況調査の目的は、社会状況の変化や光が丘地区の住民の意向を反映したまちづくりを具体的に前進させる取り組みである。また、住民負担については、事業者と区が負担する方向で、調整する。 【質問②】「まだ20年、30年先だから」と考えていては、このまちは、やがてゴーストタウンに変貌してしまうのではなかと、私は大変危惧しております。やはり行政がある程度リードし、住民や関係権利者はもとより、区全体に係わる課題、危機と捉え、早期に着手する必要があると考えますが、いかがでしょうか。 更には行政、区議会、区民間での協議を行い、「活気あふれるまち」になることはもちろんのこと、「付加価値のあるまち」例えば、「子育て世代に魅力のあるまち」を目指す。あるいは、「生活弱者にやさしいまち」を目指す。など、明確な将来像を描きながら、建て替え計画をまとめて頂くことを強く要望致しますが、いかがでしょうか。区のお考えをお聞かせ下さい。 【答弁②】将来の光が丘のまちの姿や、建替え計画などについては、支援を継続的に行い、発展させていく中で、話し合いの場を設け、創り上げていく。
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第2回定例会一般質問② 2013年 6月 11日
定例会
上野 ひろみ
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
【質問⑦】「練馬ブランド」について、昨年の第2回定例会の一般質問以来、私は練馬区における、区独自の、「シティプロモーション」が必要であると訴えて参りました。 そこで今年度から、我が会派の要望に応え、広聴広報課に、「ねりまプロモーション係」を新設され、民間から経験豊富な方を係長として採用されました。このことは、私はもちろん、会派としても大変評価していると同時に、大いに期待しているところであります。 地域の魅力を創造し、それを地域の内外へと広めることで『地域イメージをブランド化』し、魅力的なブランドに育て、観光客や転入者を増やすこと、住民に誇りや地元愛を根づかせることを目的とし、地元愛が高まれば、住民は町の発展に貢献しようとし、観光客に対するホスピタリティの精神も生まれるでしょう。そうなれば、一過性でなく持続的に発展していく環境ができるはずです。 そこでぜひとも、あらゆる部署が何かを区内外に発信する際には、新設された「ねりまプロモーション係」を大いに活かして頂き、相談、あるいは連携し、「練馬ブランド」の更なる向上につながるように要望致しますが、いかがでしょうか。また、今後の展望もお聞かせ下さい。 合わせて、以前から要望させて頂いております、組織改正を行い「広報課」を企画部内に設置し、区の更なる発展の為に、戦略的な広報活動に取り組んで頂くことを強く要望致しますが、区長のお考えはいかがでしょうか。お聞かせ下さい。 【答弁⑦(区長)】今年度中には、区の戦略的な広報施策に関する基本方針と広報計画を策定する予定であり、積極的にシティプロモーションを推進する。また、広報担当組織のあり方については、広報施策懇談会からの意見や他区の状況等も踏まえ、検討する。
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第2回定例会 一般質問 ① 2013年 6月 11日
定例会
上野 ひろみ
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
久しぶりに投稿させて頂きます。この度、「平成25年 練馬区議会 第2回定例会」において、一般質問を行いましたので、要旨を掲載させて頂きます。
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赤レンガとコンクリート 2013年 3月 15日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
東京駅が 百年の時を経て 開業当時の姿を取り戻した。 赤レンガに ドーム型の屋根、白い窓枠、時計・・・ 皇居と相対する この瀟洒な建物は、 1914(大正3)年の開業以来 この国の首都、東京とともにあり その時を、刻んできた。 設計した建築家・辰野金吾氏は 当時の日本建築界の重鎮であり 全国各地に 数々の建築物を残しているが、 東京駅の設計の際には 思わぬ苦悩をすることになったという。 辰野氏の建築物の特徴のひとつは、 レンガを使用すること、である。 イギリス留学などで学んだ 建築工学の知識を生かした彼の建物は その頑丈さから 彼の名をもじって 「辰野堅固」 と、称されていた。 しかし 当時の日本では 新しい建築資材として、 コンクリートが使われ始めており 辰野氏のもとで 東京駅の設計に取り組んでいた 若手の建築家たちは 東京駅を 最先端の建築物とすべく、 コンクリートを使うことを、主張する。 レンガはもう、 古く、時代遅れなのだ、と。 一度は 若手の主張を取り入れた 辰野氏であったが、 新しい資材としての コンクリートの可能性を認めてはいても 実績の少ない資材を使うことは、 建築物に 美しさとともに 機能性や安全性を求めてきた、 自分の 建築家としての信念にもとる、と レンガを使うことを決める。 幾人もの若手が 彼のもとを去って行ったが、 彼の信念は 開業から10年後の関東大震災で その、正しさを見せつける。 多くの建物が被災する中、 東京駅はほとんど無傷で 被災者の避難所となったのである。 残念ながら 太平洋戦争の空襲で 全焼してしまうが、 基礎と外壁は残り、 今回の復元工事では 旧駅舎が持つ耐震性を強化するための 免震工事のみを施したほど、だという。 新しいものを 積極的に取り入れることは 技術や制度の進歩には、かかせない。 しかし、 何事を論じるときでも 長い間に築いてきた経験や実績を まず、否定することから始めるような 最近の風潮は いかがなものだろう。 携わる人の 信念に基づいて 真摯に造られたものは 時を経てもなお、 その力を失うことはない。 それは 建物でも制度でも、同じであろう。 辰野氏の生み出した 東京駅の 基礎や外壁のように。 造った人たちの 意思ををおもい、 冷静に評価し、 今の自分たちは それをどのように活かすのか あるいは、変えるのか。 場当たり的な方策ではなく これこそが、自分たちなりの信念だ、と 胸をはって後世に残せるような、 そういうものを 造っていくこと。 それが 本当の意味で 「時代を造る」ことになるのだと、おもう。 久しぶりに 駅の外に出て 東京駅をながめた。 赤レンガとドーム型の屋根は 最新技術によって 時間を取り戻した東京駅の 「次の百年」を 見守り、支えるにちがいない、と、おもった。
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生きるための、力 2013年 3月 15日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
先ごろ いじめや体罰を苦にしたとされる 若者の自死が注目を集め それをきっかけに いじめや体罰に対する 社会、行政、政治の在り方が 問い直される事態となっている。 メディアが連日 この問題を取り上げ 政治家や評論家、専門家と言われる人々が いじめや体罰から子供を守る、とか、 いじめや体罰をなくす、とか そんな議論をしているが 私にはどうも、なじめない。 若者の自死が いじめや体罰によるものならば それらはなくさねばならない、という理論より先に なぜ、その若者は、自死を選んだのか という疑問がわいてくる、のである。 死ぬ、という行為は 私にとっては、とても恐ろしいもので それほど簡単に選べるものでは、ない。 もちろん 自死した若者たちも、そうだろう。 しかし彼らが さまざまな選択肢の中から「死を選んだ」のではなく 「死ぬこと」しか「思いつかなかった」のだとしたら それこそが本当の問題なのではないか、と、おもうのだ。 青春の一時期、 読んだ本に影響され 今のつまらない自分を始末するには 自死するしかない、 それなら山で死のう、などとおもい、 冬山に登ったこともある私だが、 そのたびに 自分なりに「生きる」ことの理由づけを 再確認していたように、おもう。 今の自分があるのは、どうしてか、 親の気持ちは、家は、自分の未来は、どうだろう。 そうおもい、ためらい、考えているうちに 「死ぬこと」以外の興味関心や、選択肢が見えてきて 気がつけば 孫を持つ歳になった。 自死を選んだ若者たちは いじめや体罰で追い詰められ 冷静に考える余裕すらなかったのかも、しれない。 しかし、どこかに、 それ以外の選択肢が、興味関心が、逃げ場が、ある、と おもえていたら 彼らは死を選ぶことはなかった、のではないか。 自分が苦しくて仕方ないとき、 最後にただひとつ 「死ぬしかない」という 強いおもいを持たせてしまったこと、が 実は いじめや体罰があることより 大きな問題なのでは、ないだろうか。 最近、気になっていることのひとつに 政治も経済も社会も、皆 「二者択一」の雰囲気がある、ということがある。 いいか悪いか、 こっちかあっちか、 たったふたつしかない選択肢。 本当に、そんな極端なことなのだろうか。 わかりやすい、といえば、わかりやすいが 人気を取ろうとしている政治家が それを主導していることに 私は、危機感をおぼえる。 生きるか、死ぬか。 そんな単純な「二者択一」は、ありえない。 生きる可能性をもっと求める、 そんな 「生きるための、力」を持つ子どもを育てること。 そのために、政治がすべきこと。 今年の私の課題、である。
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ねりま未来プロジェクト その2 2013年 3月 11日
観光事業プラン
田中 ひでかつ
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党 副幹事長
2018-10-10
ねりま未来プロジェクト その「としまえんの」の今後 予算特別委員会で質問に立ちました(要略) 問) 練馬区が、「ねりま未来プロジェクト」推進構想として、遊園地エリアのリニューアルを考えていた「としまえん」を東京都が練馬城址公園として整備する方針が示されてから約1年半がたちましたが、3・11を踏まえて、首都東京の防災機能強化のために避難場所や防災拠点となる公園整備を急ぐとのことですが、以前にも申し上げたことがございますが、「としまえん」を買収するのに約億円かかるといわれています。 今後、東京都は防災公園をいくつか手がけて行くときいているが計画全体の内容をご存じでしょうか? 答弁) 平成23年12月に策定された都市計画公園緑地の整備方針の中で、東京都は首都東京の防災機能の強化を図るということで、いくつかの公園を整備するとういう考えが示されている。 現在、杉並区の高井戸公園の整備に着手しているが、特に、現段階では練馬城址公園については具体的な事業化につては、示されていない。 問) 現時点では、明確に何年後に「としまえん」が防災公園として計画され工事が着手されるのはわからないということになるが、練馬区としてやらなくていけないことは、「ねりま未来プロジェクト」を「としまえん」において実行するために心構えと足場固めをしっかりしておかないと私は考えています。 「としまえん」のいいところは、大江戸線の駅と西武線の豊島園の駅が二つあり鉄道交通の利便性を考えると大きな利点であるとおもいますが、大江戸線の豊島園の駅と西武線の豊島園の駅の1日の乗降客数はどのくらいなのでしょうか? 答弁) 平成23年度については、大江戸線の豊島園駅が約万568人、それから西武線の豊島園駅が1万2,707人となっている。
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ありがたい、ご縁の、おかげさま 2013年 3月 8日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
いきつけ、 というほどでもないが 時折 無性に蕎麦が食べたくなったとき ひとりでふらりと訪ねる 蕎麦屋が、ある。 今から 三十年ほど前になろうか。 まだ駆け出しの議員だった私が 区政や議会、行政の在り方などを 語り合える仲間たちと 訪れたのが その蕎麦屋との ご縁のはじまりである。 蕎麦のうまさもさることながら 何より、「空気」が、いい。 自分のペースで 酒を楽しむもよし、 蕎麦を食べるもよし。 その店の中に身を置くことが とても心地よく、 なにより一番いいのは 店主のお顔、である。 蕎麦の味の丸さ、 空気のおだやかさ、そのままの やさしいお顔を、なさっている。 先日 この蕎麦屋を訪れた際、 いつも、はじめに少しいただく酒が、 どこのものなのか、 店主に初めて、訊ねたところ 千葉は大原の酒だ、という。 店主が これまで様々に飲んだ中でも 一番おいしい、と、 おもう酒、なのだそうだ。 なんというご縁だろう。 この酒の出所 千葉の大原は、 私の母の出身地である。 私は小学生のころ 毎年夏休みには 母の実家に逗留して 地引網を引いたり 取れたてのアジを食べたり それはもう のびのびと、楽しい日々を 過ごしたものだ。 その地で作られた酒を ずっと大切におもってきた蕎麦屋で たいそう心地よく それとは知らずに いただいていた、のである。 ご縁という 目には見えない何かが よくもこうして どこかでつながっているものだ、と驚いた。 母は 私が議員になる前に他界したが その葬儀のとき 家族も知らない人たちが 「母に世話になった」と たくさん参列してくれた。 後に初当選したとき 母の残してくれたご縁も きっと私を支えてくれたにちがいない、と おもったものだ。 その後 議員として活動する中でも 私は数々のご縁に恵まれ 多くの仲間ができ 支えられてきた。 仲間たちの姿を見るにつけ 集会や行事、そして選挙は 自分ひとりでできるものではないことを そのたびに、実感する。 自分に与えられたご縁の ありがたさをおもい、 また おかげさまで 今の自分があることを 心に刻んでいる。 人はとかく、 「当たり前」に慣れてしまい 「ありがたい、ご縁の、おかげさま」 によって 自分の日々の「当たり前」があることを 忘れがちである。 ご縁に導かれて 今、自分の身近にある人があって初めて 自分の「当たり前」が、ある。 何事にあたるときにも それを忘れず おかげさまの気持ちを持ち続ける。 そんな生き方を、したい。 今年初めての この店の蕎麦と ご縁の酒の味に触れ 改めて そう、おもっている。
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いじめられっ子 世にはばかる 2012年 10月 4日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
いじめられっ子 世にはばかる 小学生の頃、犬を三頭飼っていた。 今の私の容姿や職業からは 想像がつかないかも、しれないが もともと私は かなりの引っ込み思案で、 体も小さく どちらかといえば いじめられっ子であった。 そこで 「犬をお供にして歩けば みんな怖がって近づいてこないだろう」 とおもって 飼いはじめたのである。 米軍将校が帰国するときに残していった 「ケリー」は とても賢く 雑種の「クロ」は 木に登って降りられなくなるような おっちょこちょいだが それがまた、愛らしく 訓練所に通ったこともある 「アド」は とても聞き分けがよかった。 それぞれに個性のある三頭を連れて歩くと 自分が強く、大きくなったようにおもったものだ。 ちょっとした仲間はずれや、からかいでも、 私のように、気にしてしまう子どもにとっては とても、こたえる。 それがよく分かるから 連日マスコミを騒がす「いじめ」の問題から 目をそらすことが、できない。 いじめは 「あってはならないもの」だと言われるが 子どもの世界に限らず 「人の集まるところ、どこにでもいじめがある」 こともまた、事実である。 もちろん、いじめをなくすことは 究極の目標だろうが それがなかなか難しいのが、現実であろう。 なぜ、最近のいじめが これほど凄惨だったり、陰湿だったりするのか。 その原因の一つに 子どもたちの「想像力と判断力の欠如」が あるように、おもう。 一昔前の子どもたちは いたずらをしたり、言うことを聞かなかったりすると 先生や周りの大人から 容赦なく拳骨やビンタをもらったものだ。 子ども同士 外で無理な遊びをしたり 取っ組み合いの喧嘩をしたりして 怪我をすることも、多かった。 体罰や虐待を容認するわけでもなければ 子どもの安全を守る努力を否定するわけでもないが 子どもたちの生活から 「傷を負う」「傷を負わせる」という経験を 必要以上に奪ってしまったことが 逆に最近の 「手加減を知らないいじめ」に つながっているように、おもう。 心と体で実際に 「痛み」や「傷」を経験していない子どもには 相手に与える「痛み」や「傷」が どの程度のものなのか、想像がつかないのだ。 だから当然、 どこで止めるか、の判断も できないのである。 痛みを知り、 傷を持つ人間であれば 「こんなことをしたら 相手は、どうおもうだろうか」 「自分が同じことをされたら どう感じるだろうか」 そんなふうに、 ほんの少し想像力を働かせるだけで 他人をいじめることなど 怖くてできないはずである。 日々の生活の中で 多少の怪我をし、痛みを味わうようなことを 避けずにさせてみる、ことだけでも 子どもには 大きくて大切な経験となり 想像力の源にも、なろう。 これは 「いじめをしない子ども」への 第一歩であると、おもう。 ところで 周りの大人は、どうあるべきなのか。 マンガ「ドラえもん」には 主人公ののび太に対する いじめとも取れる場面が 数多く出てくるにも関わらず 長年 子どもから大人まで 幅広く読み継がれているのは のび太が暴力や仲間はずれに遭遇したとき いつも一緒にいて その話を聞き、見守り、助ける 「ドラえもん」という存在がいることが のび太にとっての救いであり その存在を支えに のび太が元気に立ち上がり 向かっていく姿に 読む者が皆、勇気づけられるからである。 残念ながら 現実には「ドラえもん」はいない。 しかし 子どもの周りには 教職員、児童施設や学童クラブの職員 学校応援団など地域の方々など たくさんの大人がいる。 この大人たちが 子どもにとっての「ドラえもん」になればよいのだ。 自分の立場や職分にこだわらず それぞれが連携する 「ドラえもん集団」を作れたら、とおもう。 虎の威を借る狐ならぬ 犬の威を借りていた 引っ込み思案の少年は 半世紀を経た今 おかげさまで 子ども施策に関わることのできる 区議会議員になっている。 いじめられっ子 世にはばかる、のである。
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考えるべきことは 2012年 7月 18日
環境行動
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
暑い週末だった。 今日は誕生日だったのだが これほど暑い時期に 子どもを産むのは、 母もきっと大変だっただろう……と 焼け付くような陽射しの中、墓に手を合わせながら 改めて、おもった。 ところで。 ニュースによれば 「さようなら原発」というタイトルのもと 作家の大江健三郎氏や 作曲家の坂本龍一氏らも呼びかけ人となった 脱原発の集会が 代々木公園で行われたそうだ。 主催者発表で万人、 警察の発表でも万人という人々が集まり 炎天下 都心部をデモ行進したという。 インタビューされている人のコメントを聞くと 「子どもたちの未来のために、原発をなくすべき」 「これだけ多くの人が反対しているのだから、今すぐとめるべき」 というものが大半である。 壇上で意見を述べていた著名人と呼ばれる人たちも 大江氏は 「今の状況は、政府に侮辱されている」 坂本氏は 「たかが電力のために、命を危険にさらすのか」 などと かなり激しい言葉を使って 「脱原発」を訴えていたようだ。 東日本大震災と それに端を発する福島第一原発の事故により 未だふるさとに戻る目処すらたたない方々が 多くいることは事実である。 福島第一原発についても 地震情報が流れたり、東京でも揺れを感じたりすると 「大丈夫だろうか……」と 心配になるのも、また、事実である。 原発を建設する時点では 分からなかったとされる活断層が 新たに指摘されるなど 技術面での問題が出てきていることも、事実だ。 このようなことをおもうと 「原発の安全性」について さらなる検討や調査をし 「今ある原発を安全にするにはどうするか」 「これから新たに原発を作るのか」 といった議論は もちろん、早急に必要であろう、とおもう。 しかし、である。 「脱原発」か「原発継続」か という二者択一しかない 単純で、ある種感情論的すぎるきらいのある議論で この問題を終わらせていいのだろうか。 本当は 「日本で使用する電力は、実際どれくらい必要なのか」 「それをまかなうには、どうすればいいのか」 「まかなう方法はどうするのか」 ということを分析、検討し、 政策的にどうするか、という決断が必要なのではないか。 そして 考えなければならないことは、多々ある。 原発立地自治体に暮らす人々の生活はどうするのか。 今ある原発をどうするのか。 では、例えば 原発を他のエネルギー源に切り替えるとして それまでの間、 電力をどうやってまかなうのか。 もし、節電が必要となったとき、 私は、あなたは、「辛抱する」ことができるのか。 ……いかがだろうか。 橋下大阪市長が 当初は、大飯原発の廃炉を強く求めていながら 夏の電力不足についての資料を検討したとたん 一転して再稼動に賛成した、ということがあったが これなど、いい例である。 様々な現状を見れば 「原発は危険だ、廃止すべきだ」と 主張することは簡単であるし ある意味、現在の世論の支持は得やすいだろう。 しかし、様々な可能性や実態を 丁寧に検証し、政策として検討しない限り、 結局 「夏限定で稼動すべき」 などという、場当たり的対応になってしまう。 それでは、何も進まない。解決しない。 自分自身、議員という立場であるが これほど、政治も政策もない状況が続く日本に 大きな不安と、危機感を、おぼえる。 この夏、自分で調べてみたいとおもっているのが 家庭で使っている分だけでなく 自分が関わる社会の中で使っている分も含めて 「いったい、自分はどれほど電力を消費しているのか」 という数値である。 まずは 自分が使っている電力を 「電気料金」ではなく「数値」として感じ 本当に使わなければならない分は いったいどれくらいなのか 考えてみたい、と、おもう。 もう、すでに 電気がなければ成り立たなくなってしまった 現代社会に生きる私たちにとって 本当はもう一度 冷静に考える必要があるときが来ている、と、おもう。
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ねりま未来プロジェクトについて 2012年 6月 15日
まちづくり
田中 ひでかつ
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党 副幹事長
2018-10-10
平成24年 第一回定例会では、会派を代表して一般質問を行いました。(以下、平成24年 第一回練馬区議会定例会一般質問より抜粋) 私は、練馬区議会自由民主党を代表して一般質問を行います。区長をはじめ関係理事者の誠意ある答弁を期待します。 ねりま未来プロジェクトと関連する、としまえんの今後について伺います。 都内有数の遊園地、練馬区のシンボルでもあるとしまえんを、西武グループと区が官民協働の事業として、平成年度からねりま未来プロジェクトの発信拠点として位置づけることとし、協議を開始していたやさき、昨年8月、東京都は、首都東京の防災機能の強化を図るため、としまえんを防災機能のすぐれた公園とするため、整備に着手すると明らかにいたしました。 私は、突然のことで真意がわからぬまま今に至っておりますが、練馬城址公園としてヘクタールを、平成年度までに計画的に事業を進める優先整備区域に設定されたことが一つの明白な事実でございます。 昨年、東日本大震災があり、当然のことながら防災の拠点となる大きな公園が区内に誕生することが望ましいことはわかりますが、一方で私は、としまえんを活用し、練馬区のスポーツ、文化、観光、みどり、産業振興、そして人づくりを行う新たな練馬ブランドの発信拠点として位置づけたねりま未来プロジェクトが、一体どこに行ってしまうのか心配でなりません。 ※質問① そこで伺いますが、今後としまえんは、東京都が位置づけた防災公園としてのみどり豊かな公園として整備されるだけなのか、その機能も有しながら、ねりま未来プロジェクトを実行に移せる機能もあわせ持つ公園にすることが可能であるのか、練馬区のご所見をお聞かせください。 ※答弁(要略)⇒ 『これまで検討してきた内容について、再整理を行っている。今後、構想の実現に繋がる公園整備を地元自治体として都に要望する。』 ※質問② また、夏真っ盛りの時期のとしまえんには、全国の方々が訪れた7つのプールがございます。私は、防災の観点からも欠かすことができない水を確保するためにも、プールを残す必要があると考えますが、ご所見をお聞かせください。 ※答弁(要略)⇒ 『災害時での水の確保は可能な施設と認識している。』 私も、子どものころから慣れ親しんだとしまえんがなくなるということは非常に残念でありますが、時代の趨勢とでもいうのでしょうか、全国各地から遊園地が姿を消していることも仄聞しております。ただ、にぎわいの創造主であったものがなくなれば、当然のことながら、以前のような地域コミュニティの場がなくなり、この周辺地域の商店や事業所は閉鎖に追い込まれることが予想されます。 また、西武池袋線の練馬駅から単線が運行されている西武豊島線も廃線となり、豊島園の駅もなくなる可能性が生じることさえも予想されます。それでは、そうはさせないためにどうしたらよいのか、あらゆる可能性を模索する必要があるのではないでしょうか。 先日、私は家族を連れて三鷹市と武蔵野市をまたぐ都立井の頭公園へ出かけましたが、この公園には運動場、テニスコート、動物園、植物園、遊園地、彫刻館、アトリエ館、日本庭園、そして水の確保となる井の頭池にはボート乗り場もあり、その周辺の遊歩道には大道芸人が道行く大勢の人々を楽しませており、いくつもの飲食店と出店、そしておまけにジブリ美術館があり、多くの人々が吉祥寺駅周辺の商店街を抜けてこの公園を訪れています。
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(2)H24年 第2回定例会での一般質問 2012年 6月 14日
定例会
上野 ひろみ
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
只今、開会されております「平成24年 第2回定例会」において、一般質問をさせて頂きました。今回で6度目となりますが、議場で発言するのは、毎回“緊張”致します。 今後もさらに、「始めよう、区民第一主義!」「やれば出来る!!」をモットーに、「温故知新」の精神で、一歩一歩着実に、日々勉強して参ります。更なる、ご指導・ご鞭撻宜しくお願い致します。 平成24年 第2回練馬区議会定例会 練馬区議会自民党 上野 ひろみ 一般質問(要旨)
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(1)H24年 第2回定例会での一般質問 2012年 6月 14日
定例会
上野 ひろみ
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
只今、開会されております「平成24年 第2回定例会」において、一般質問をさせて頂きました。今回で6度目となりますが、議場で発言するのは、毎回“緊張”致します。 今後もさらに、「始めよう、区民第一主義!」「やれば出来る!!」をモットーに、「温故知新」の精神で、一歩一歩着実に、日々勉強して参ります。 更なる、ご指導・ご鞭撻宜しくお願い致します。 平成24年 第2回練馬区議会定例会 練馬区議会自民党 上野 ひろみ 一般質問(要旨)
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スカイツリーの見方 2012年 6月 8日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
東京スカイツリーが開業した。 風景の中に その姿を見つけるたび よく、こんな高いものを 建てられるものだ……とおもう。 私にとって なじみの深い「塔」といえば やはり 薬師寺さんの塔、であるが そういう寺院の塔の構造が 現代のスカイツリーの構造に 活かされていると聞く。 いにしえから変わらず 人というものは その時代、時代に生きる 人々の技術の粋を集め 決して手の届かない 大きな空に、 あこがれ、そして近づこうとしてきたのだろう。 開業の日の新聞に 「塔博士」と呼ばれ、 数々の電波塔の設計に携わった 建築家・内藤多仲氏に師事し、 東京タワーの設計に関わった 早稲田大学名誉教授、田中氏の記事があった。 「謙虚な姿勢で臨め」 「無理はするな」 これが、「塔博士」内藤氏の口癖だったという。 構造力学の基本に素直に従えば おのずと安全性が高く、経済的な塔ができる、 というのが、 塔のことを知り尽くした内藤氏の遺訓なのだそうだ。 「すごいタワーができた」。 素直にそう思う一方、田中さんは、 建物の高さが技術力や経済力を示す時代が これで一段落したとも感じている。 「自然に挑戦するかのごとく高さを追い求めれば いずれ無理が来る。」 スカイツリーの建設中に起きた昨年の東日本大震災を見て、 内藤博士の哲学を改めて思い起こした。 (平成年月日 読売新聞朝刊より) スカイツリーは 建築中の震災にも 十分に耐えて完成したが 強風により エレベーターを停止するなど 予想もしなかったことも起こっているようだ。 技術は進歩し スカイツリーのような建築物も造れる日本だが 昨年の東日本大震災では 人の造ってきた まちや、建物や、道や、港や そういったものが 自然の力の前には あまりにももろく、無力であった。 人の技術と力の象徴が スカイツリーであるとしても それが 人の造ったものである限り 絶対、であったり、 万能であったりすることはない、ということを 忘れてはならないのだ。 スカイツリーは 練馬区役所の庁舎からも、見える。区内なら おそらく、どこか必ず見える場所が あるだろうとおもう。 それは スカイツリーの高さのなせる業であり 東京はまたひとつ、 すばらしい「名所」を手に入れた、とも、おもう。 しかし、だからこそ スカイツリーを見るときには 「塔博士」内藤氏の言葉をおもいたい。 「謙虚な姿勢で臨め」 「無理はするな」 スカイツリーを訪れて 買い物や見物を楽しむもよし、 遠景にスカイツリーを見て 感動するもよし。 だが スカイツリーには もうひとつ、 少し違った見方、がある。 どこからでも見えるスカイツリーだからこそ 自然の力の大きさをおもい 人間の小ささをおもいながら 少しだけ、戒められる。 そんな見方も、たまにはどうだろう。 スカイツリーが いつまでも 東京の空にその雄姿を見せ続けること。 薬師寺さんの塔のように 時代を超えて いつまでも人の心に残ること。 それこそが これからの日本が 安寧であることの証、になるのかも、しれない。
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薬師寺にて 2012年 4月 3日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
毎年、月日 薬師寺では「お身拭い」が執り行われる。月日から月日までの 「修二会花会式」の前に 本尊の薬師如来をはじめ全ての仏様を 拭き清めるのである。 今年は スケジュールがうまく調整できたので 本当に久しぶりに 「お身拭い」の当日に 薬師寺をたずねることができた。 西ノ京の駅に降りたとき すこし盛りは過ぎているけれど まだ美しく咲いている梅の花、 そして すこし雲はあるものの やわらかい日差しと青い空に 思わず深呼吸をし、 薬師寺に「戻ってきた・・・・・・」という きもちに、なった。 私と、薬師寺さんとの関わりは年近くになる。 学生時代に友人と興した史蹟研究会で ただ、史蹟を見学するだけでなく もっと深く、寺院の「こころ」に触れたいと 薬師寺さんに直談判したのがはじまりだ。 その時、受け入れてくださったのが 橋本凝胤猊下であり 高田好胤猊下であった。 私たちは 「修二会花会式」の時期には 庫裏で若い僧たちと寝食を共にし 行事に関わる様々を手伝うのだ。 そういう意味で とてもなつかしく また、身の引き締まるおもいの、行事である。 当時をおもいながら 「お身拭い」がはじまるのを待っていると 急に、 何度灯明をともしても、 消えてしまうほどの風が吹きはじめた。 管主や僧侶が入堂し 読経がひびく中 薬師如来や日光、月光菩薩が 拭き清められていく。 その時、激しく雨が降りだした。 大粒の、雨。 そのうちに、雷鳴。 そして、さらに強く吹く風。 はじめて経験する 春の嵐のお身拭い、である。 「花会式」の経典は 独特のリズムと節回しがあり それに併せて、 管主が立ち上がるという所作があるのだが まるでそこにあわせるかのように 雷鳴がとどろく。 金堂を吹き渡る風と雷鳴。 私の中のもやもやとしたものを 吹き飛ばし、払ってくれるような そんな気が、した。 そして、 初めて対面したときの 橋本凝胤猊下の おだやかだが、するどい眼差しと 側近く、いさせてくださった 高田好胤猊下の 厳しくも、機知に富むやさしさを おもいだし 身震いするほどの緊張感と 体の奥から湧きあがってくる力を 自分の中に感じた。 あの震災から年が過ぎ、回目の当選から年が経とうとし、 国政も区政も 混乱が収束するどころか 問題が増しているようにも見える、今、 これまでと変わらぬ信念を持ち、 迷わず、着実に 仕事に邁進せよと、 薬師寺さんに背中を押されたのだ、とおもう。 伽藍をあとに 西ノ京の駅に向かうころ 風は幾分おさまり うっすらと 日が差しはじめていた。
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二宮金次郎の受難 2012年 2月 5日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
先日 ニュースサイトに 気になる記事を見つけた。 「二宮金次郎」像といえば 誰でもすぐにその姿を おもいうかべることができるだろう。 この二宮金次郎像の多くが 各地で撤去されはじめているという その記事に 少々、おどろかされた。 大津市内の ある小学校では 老朽化で壊れた像を撤去したが 地元自治会から 復元の申し出があった。 協議の結果 復元はするが これまで像のあった玄関前ではなく 校長室に設置する、となったという。 地元自治会には その小学校の卒業生であるお年寄りもいて 子どもたちの前から像が消えることを 残念がる声もあったそうだが この小学校のある教諭は 「子どもが働く姿を勧めることはできない」 と語る。 大津市教委によれば 市内の小学校では 撤去が進んでいる、という。 市教委の担当者によれば 「戦時教育の名残りという指摘」や 「歩いて本を読むのは危険という、保護者の声」 などのため 補修に公費を充てることも難しいのだそうだ。 二宮金次郎は 少年期に両親を亡くし 貧しく厳しい生活を余儀なくされながらも その日々の暮らしの中で 時間を惜しんで勉学に励み 没落した実家を建て直した手腕をかわれ 小田原藩の財政復興に尽力した、という人物だ。 その二宮金次郎の 一家の暮らしを支えながら努力した逸話が 戦前の「修身」の教科書に載せられており 像を建立するブームが起きたことが そもそも金次郎像が小学校にあることの理由である。 二宮金次郎といえば 薪をしょって本を読む姿を すぐにおもいだしても 実は何をした人なのか どういう人物なのか 説明できる人はあまりいないのではないか。 かくいう私も この記事を読んでから 今一度、金次郎について調べてみたひとりだ。 二宮金次郎像を見るとき その像が なぜ、どうしてそこに建立されたのか 二宮金次郎という人は どんな人物であり どうして このような姿の像になっているのか 先生や保護者とともに 調べたり、考えたり、学んだりすることで 子どもはきちんと理解し 自分なりの考えを持つことができるはずだ。 それを 「薪をしょっているから、子どもの労働」 「本をよみながら歩くのは危険」 などと 驚くような理由をつける 教諭や保護者というのは いったい、どういう了見なのだろう。 金次郎の生きた時代 農家の子どもは 一家の暮らしの中で自分の役割分担を持っていた。 薪を拾うことや、縄をなうこと、水を汲むこと・・・ 日々の生活の中にある 生きるために必要な作業、である。 薪がなければ、飯も炊けない、風呂も沸かせない。 ボタンひとつで電気がつき 蛇口をひねれば水やお湯が出てくる 今の時代にはない「子どもの仕事」があるのは 当然である。 すこしばかりの駄賃を稼ぐこともあっただろう。 だがそれは「働かされている」わけではない。 像を見て 「労働する子ども」を想起する教諭の その貧しい想像力というか 少しゆがんだものの見方というか 屁理屈、というか そのほうが、よほど 子どもには、よくない。 二宮金次郎は 薪を運ぶその時間を使って 歩きながら本を読んだ、という逸話は 彼が、苦しい生活でも努力した、という 彼の生き様の象徴である。 それを端的に表すのが 薪をしょって、本を手にしている あの姿、なのに 像を見て 「歩きながら本を読むのは危険」という 保護者のような人の多くが 歩きながら携帯電話をいじっている、 というのも 笑うに笑えない、のだ。 この国の教育に携わる人たち そして 子どもを育てる親達も いつの間にか どこか、少し、おかしくなっているように、おもう。
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新年にあたり… 2012年 1月 4日
その他
上野 ひろみ
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
新年を迎えるにあたり一言ご挨拶申し上げます。昨年も多くの方々に大変お世話になり、またお支え頂きましたこと、大変感謝申し上げます。 皆様におかれましては、それぞれお気持ちも新たに、新年をお迎えになられたことと存じます。 昨年は日本にとっては激動の一年となり、国民一人々々が色々と考えさせられる年(とし)となりました。私にとっても議員としての節目の年であり、期目の当選をさせて頂き、これまで以上に気を引き締め、日々、努力精進・邁進してまいる所存です。 そして、政策スローガンに「始めよう、区民第一主義。」を掲げ、自己主義になりがちな政治家が多く存在する中、政治本来の原点に立ち返り、さらなる行政改革・議会改革(議員定数削減等)にも取り組み、区民本意の政治の実現へ、皆さんと共に考え、共に学び、それぞれの分野で様々な経験・スキルを擁して、ネットワーク化を図る「協働・協治」を目指して参ります。 更には、私の好きな言葉の中に「温故知新」とういう言葉がありますが、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」、先人(先輩)方が築いて来たものや、考え、伝統を十分に研究・勉強し、新しい知識や見解を生み出していきたいと考えております。今後とも変わらぬご指導・ご鞭撻、そして、ご支援のほど宜しくお願い致します。
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母を おもう 2011年 12月 28日
子育て支援
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
母を おもう 昼を少し過ぎたころ 軽く食事をしようとおもい デパートの中の 回転寿司店に立ち寄った。 ひとりで 何となく食事をしていると 「きんめだい!」 という 子どもの声が聞こえた。 声の主は 向かいの席に 母とふたり座っている 3、4歳の男の子だ。 「はい、金目鯛。さび抜きだよ」 「ありがとう、いただきます」 回転寿司という形ではあるが 目の前にショーケースがあり カウンターに座り 職人と会話をしながら寿司を食べる というスタイルは 「寿司屋」のものである。 幼いころからこうして 人と会話をしながら食べることを 子どもに経験させるのは よいことだな、とおもいながら ふたりを見ていた。 ときどき 母と子は顔を見合わせながら 次は何を頼もうか おいしいね、などと話している。 母も子も とても穏やかな顔をして その席は とても温かく、やわらかい空気に 満ちている。 ふいに 自分の母のことを、おもった。 私が幼いころ 家業の自動車整備屋では 若い整備工たちが 住み込みで働いていた。 まだ親の恋しい歳で 食べ盛りの整備工たちの 食事を作り 身の回りの面倒をみるのは、母。 そんな母が ほんのたまに、だが 出前の寿司を頼むことがあった。 そのときは 幼い私にもきちんと握りが届き うれしくて、おいしくて その日はとても しあわせなきもち、だったものだ。 私がいま 寿司を好きなのは このころのおもいが あるからかもしれない。 母は 人が訪ねてくれば 家に上がらせ 帰りには何かしら持たせて 手ぶらで帰らせることがなく 相談事をされれば 決して楽ではない自分ながら いくばくかの都合をつけ 晩年まで それは変わらなかった、ようだ。 ようだ、というのは 私がそれを母の口から 直接聞いたことがないからで 私が議員になる前に他界した 母の葬儀に 家族も知らない方が幾人も参列し 母にこうしてもらった、と お礼を言っていくので そこで初めて知ったようなわけだ。 後に議員になったとき 母が母の人柄で培ってくれた 人とのつながりが 私が政治の世界に出ることを 後押ししてくれたのだと 心のそこから、そうおもった。 そして そんな母に育てられたからこそ 今の自分の 人としての、そして政治家としての 「やり方」 が あるのだと、おもう。 いつまでたっても 親は親であり 子は子、なのである。 母と子、父と子 親子が時間を共有できる期間は 実はとても短い。 その中で 寿司店でであった母と子のような あたたかく、心に残る時間を どれくらい、もつことができるか。 それが 子の人生の豊かさにつながると、おもう。 親のすることを間近で見たり 親とともに 行事に参加したり 食事をしたり そんな経験をつむことで 子はだんだん、大人になっていく。 そしていつか必ず 親から離れ、自分を持つときがくる。 それが 子育て、というものだろう。 保育園の待機児童 という言葉が出てくると それは 必ずといっていいほど 「解消されるべきもの」 として扱われる。 保育園に入れないことが 子どもにとって困ること、という 印象すら、ある。 しかし 少し角度を変えてみれば 保育園児たちにとって 保育園で過ごす時間は 「親と過ごせる時間までの待機時間」 なのでは、ないか。 保育園児もまた 「待機児童」なのである。 この「待機児童」を どう考えるか。 親と子が 共に過ごせる時間を 無理なくとれるような政策こそが 本当に求められる 子どものための「子育て支援」であろう。 年の瀬の 身の引き締まるような 朝の空気に触れ 台所に立つ母を おもいだしている。
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大事なのは、「3K」 2011年 11月 14日
まちづくり
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
大事なのは、「3K」 先月で ブログを始めてちょうど1年、だったのだが 定例会、視察、 そして、今年で回目となる ゴルフコンペをこなしているうちに ブログを更新しないまま月は過ぎていってしまった。 当初は 1週間に2回は更新、などと 力んでみたものの 結局は1ヶ月に1回更新が 関の山、なのだが 単なるつぶやきや 推敲できていない文章を 次々に載せるよりも 読んでくださった方が 何らかの感慨を持ってくださるような そんなブログを目指せばよい、と 今は、開き直っている。 これからも 遅筆であるが 少しずつ、更新していきたいと、おもう。 ところで。 視察のときにも ずいぶんと気になったのだが、 最近、 取っ手を引いて歩く キャリーバッグを持っている人が 多いようにおもう。 体にぴったりとつけて持っているならよいのだが 取っ手を長くのばし、 後ろ手にゴロゴロと引きずっている人が前にいると、 思わずバッグにつまづきそうになることがある。 それも、 かなり頻繁に、である。 自分の後ろ どのあたりにバッグがあるのか、 分からずに持っているのではないか。 そしてそのバッグが 誰かに当たってしまうかもしれない などということは、 あまり考えていないのだろう。 目につくのは キャリーバッグばかりではない。 混んだ電車の中で リュックサックを背負ったままだったり 駅でドアが開いても ドアの前に立ったままだったり あるいは街を歩くとき お互いでよけずにぶつかってみたり 携帯電話をいじりながら歩いてみたり どうにも、あぶなっかしくて、いけない。 最近の話題で 自転車の取締りを強化する、という話があった。 自転車を利用する人の増加にともなって 自転車がらみの事故が増え 死者も出ていることから 本来「車両」である自転車の 交通規則での取り締まりを強化する、というのだ。 確かに 路地から飛び出してきたり 歩道を猛スピードで走ったり あるいは かなりフラフラと走っていたり、と 危ないな、とおもう自転車人は、いる。 しかし 自転車によく乗る知人に言わせると 「歩行者は、道一杯に広がって歩いている、 車は、スピードを出して走ってくる、 歩道も、車道も、 自転車が、安心して走れるところなんてない」 のだそうだ。 取り締まる、注意する、規制する・・・・・・ というのは 確かに、安全を確保する手段ではあるが それで本当に 自転車の問題は解決するのか。 私は、ノーだと、おもう。 キャリーバッグも 電車の車内の態度も 街の歩き方も 自転車の乗り方も すべて、やっているのは、人。 自分がこうすると、どうなるか。 相手は、どうしているか。 どうすれば、お互いうまくいくか。 それを考える気持ちがなければ いくら規制し それを守らせたところで 本当の意味での解決は、ありえないのではないか。 何事も 規制すればいい 取り締まればいい 法律や条令を作ればいい それですべて解決、だとしたら なんと苦労のない けれども、さみしい世の中だろう。 人間、社会の中にくらす限り 「3K」なのである。 その3Kとは・・・・・・ 「気遣い」「気配り」「こころがけ」 これらなくして 本当に住みやすいまち、は ありえないのだ。
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どぜう 2011年 9月 28日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
どぜう 時折、無性に食べたくなるもの、は 誰にでもあるとおもう。 わたしにとって 無性に食べたくなるもののひとつに、 「駒形どぜう」のどじょう鍋、がある。 前に書いた 蕎麦の店とおなじで 建物や、座敷や、庭や、 何となくにぎやかなのに、うるさくない 独特の雰囲気、など それは、えもいわれぬ空気、だ。 そして、どじょう鍋に 刻みねぎをたっぷりとのせて ぐつぐつたぎるところを 口へ運ぶときの、うれしさといったら、 これ以上のものは そうそうあるまい、と、おもう。 だから どじょうのように、泥臭く、だのという たとえ話をする人は、 どうも、信用できない。 たしかに、どじょうは 田んぼや川の泥の中にいるもの、だが、 その水や泥がきれいでなくては 生きることができない。 きれいな水、おいしいエサがあってはじめて、 おいしいどじょう、が育つ。 そしてまた おいしいどじょう、があったとしても それを おいしく食べるには どじょう鍋をこしらえる中に さらなる工夫が、技術が、ある。 いかに、おいしく、どじょうを喰わせるか。年の長きに渡る、老舗の努力を、おもう。 「駒形どぜう」の味をおもいながら、 どじょうが、 あの素晴らしいどじょう鍋になることをおもいながら、 政治家として、 自分をどじょうにたとえるのは、 ずいぶんと覚悟がいるな、と、おもった。 どじょうは どじょうのまま、ではいけない。 工夫と、努力で、 あの、どじょう鍋に、ならなくては、いけない。 どじょう鍋のような仕事、ひとつでも、できるか。 どじょう鍋のような議員に、なれるか。 次に、どじょう鍋を食べるときには ちょっとばかり、緊張するかも、しれない。
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食べる、ということ 2011年 9月 15日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
このところ ちょっとした食事制限をしている。 血糖値をコントロールするためなのだが いろいろと本を読み 自分なりに納得できる、とおもったので 一念発起、はじめてみたところ かかりつけ医も驚くほど、 数値改善をしてきている。 食事制限、というと なんだか病人になったようでよくないが、 体調を自分でコントロールできている、という 達成感のようなものがあり むしろ、楽しくやっている。 やり方は、とても簡単である。 「糖質」の摂取を抑えること、これだけである。 糖質を摂取しないために 糖質を含む食物を、 なるべく食べないようにするのだが、 そうするためには どの食品に、糖質が含まれているのかを 知らなくてはならない。 食品群としては 米、小麦などの穀類、イモ類、果物など。 もちろん砂糖、これを使う菓子類、飲み物も。 もともと 米の飯や蕎麦などが好物な私にとっては それらを控えることは少々つらいのだが、 体調をコントロールし いつまでも健康でいられれば いつまでもおいしく食べることができ 気力、体力充実して 仕事に当たることもできるだろうと がんばっているわけだ。 おもしろいのは 日本酒やビールのような醸造酒はだめだが 焼酎やウィスキーのような蒸留酒は。 仕事上も、趣味としても やはり「ちょっと一杯」をかかせない私にとっては 好都合な食事制限では、ある。 ところで、 この食事制限をはじめてから 気づいたことがある。 まずひとつは、 これまであまり気にせずに食べていた 加工食品の意外と多くに、 砂糖はもちろんだが 様々な食品添加物が使用されているということだ。 買い物に行き、 食べてみようかな、とおもった商品を手に取り 必ずひっくり返して、成分表示を見ていて 気づいた。 流通している食品に 必要以上に神経質になるつもりはないが 少なくとも 自分が何を食べているのか きちんと分かるような食生活をしたいものだと おもうようになった。 もうひとつは、 「ものの味」に敏感になったようにおもうことだ。 甘いものを食べなくなってから 野菜の甘さ、 少しだけ口にしている、果物の甘さ、など これまであまり思わなかった 「素材の味」を感じるようになっている。 考えてみれば ほんの百数十年前の江戸時代など 砂糖は庶民の口に入るものでなかったのだし その頃は 果物の柿の味が 一番甘いものだとされていたそうだから もしかすると 私の舌は、 むかしの人と同じになってきたのかも、しれない。 むかしに比べて 「食べること」がとても簡単なことに なってしまった今、だからこそ 「食べること」を、もっと大切にしようと 改めて、おもう。 「客に招ばれたとき、客を招ぶとき以外には、 あまり贅沢はしていない。 しかし、小間切れ肉をつかうときでも、私なりに、 (念には念を入れて・・・・・・) 食べているつもりだ。 死ぬるために食うのだから、念を入れなくてはならないのである。 なるべく、 (うまく死にたい・・・・・・) からこそ、日々、口に入れるものへ念をかけるのである。」 池波正太郎「男のリズム」(角川文庫) 残りの人生、 ますます力づよく、情熱を持って、 常に前に進み続けるために、 もうしばらく 「食べること」を大切に、 そして何より、楽しみながら 食事制限を続けてみようと、おもっている
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何のため、誰のため 2011年 7月 19日
環境行動
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
何のため、誰のため 今年の夏、 もっとも使われる言葉は、 おそらく「節電」だろう。 毎日、新聞やテレビ、そしてインターネットでも 電力使用量の予想が発表され 節電グッズやら、節電営業中、やら やたらと「節電」の文字が、目につく。 誤解を恐れずに言えば、 ある種の「イベント」のような感すら、あるように、おもう。 しかし 「なぜ、節電なのか」と、問われたとき、 すっきり、明快な答えができる人は、 どれほどいるだろうか。 世の中が「節電」と言っているから 「とりあえず」「なんとなく」 節電しなくてはいけないかな、とおもっている人も 多いのではないか。 今回の東京電力管内の「節電」への流れは 東日本大震災により 福島第一原発が被災、事故を起こし使用できず 電力供給量が落ちるため 使用電力に対応しきれず、大停電の恐れがある というもので、 この現状を踏まえ、 多少の不便はあっても 今、得られる電力で足りる生活をする、 というのが 本来の、今夏の節電の意味、であろうと、おもう。 東日本大震災で、 わたしたちは、 これまで「当たり前」だとおもっていたことが 「当たり前」でなくなることがあることを 一人ひとりが少しずつ、 互いに何かを「辛抱」しなくてはならないときがあることを おもいしらされたのでは、なかったか。 だからこそ 多少暑くても、不便でも、 何とかやりくりして、生活していこう、というおもいが生まれ、 そのひとつの手段として 「節電」という行動があるのでは、なかったか。 それなのに、で、ある。 「何のため」に「誰のため」に 節電するのか、ということが語られることは少なく、 スーパークールビズだの、節電グッズだのと 節電するための何か、ばかりが脚光を浴び、 ゴーヤの苗は、品薄という有様、である。 驚き、またあきれたのは、 15%という節電の「目標値」が出されると 「15%節電を達成した家庭には、商品券をプレゼントしたらどうか」という意見が私の身近なところから、出てきたこと。 そして、もっと驚いたのは 経済産業省が「節電するとプレゼント」という事業を始めたことだ。 「家庭の節電宣言」と銘打ったホームページを見ると 登録すると「参加賞」というものが発行され それを提示すると、協賛企業で割引などの特典が受けられるようになってい、さらに昨年比マイナス15%を達成すると 「達成賞」なるものが、抽選で当たることになっている。 節電を促そうとすること、 節電に関する情報を共有しようとすること、 それは間違ってはいない。 しかし 節電すればモノがもらえる、という構図は いかがなものか。 「節電すること」を「目的」にしてしまっていることが とても、気にかかる。 震災の日以降、 自分たちの今の生活が、 どれほど電力に頼ったものであるか、 おもい知らされた人も、多かったであろう。 実は以前から、 石油などの化石燃料は、いずれ枯渇する、 だから、代替エネルギーが必要だ、 という議論がなされてきたし、 その対応策のひとつが、原子力発電だった、わけだが 便利な生活を手放さずにすむだけの電力を どうやって確保するか、ということばかり追及し 供給量の拡大をめざす一方であったようにおもう。 本当は、 供給される電力の範囲内で いかに快適に暮らすのか、という工夫や技術の開発が まず先にあってしかるべきだったのではないか。 便利さ、快適さを手に入れてしまった私たちは それを手放さないための方策ばかりを 追い求めてきてしまったために、 今になって、その方策に 「足をとられた・・・・・・」 だけ、なのかもしれない。 今年の夏も、 「電力不足」ばかりクローズアップされ 「節電」が目的となってしまうなら、 また、これまでの繰り返し、に、なってしまうだろう。 震災と、それ以降の様々な問題は 私たちがこれからどう暮らしていくか、を、おもう きっかけを与えてくれた。 「節電」もまた、そのひとつだ。 エアコンの設定温度を上げるとき、 廊下の照明を消すとき、 電車や職場で、いつも以上に汗をかくとき、 自分は「何のため」にそうしているのか、 そうすることは「誰のため」なのか、と 自らに問うことを、忘れずにいたい。 そのきもちをもたない「節電」など 単なる「イベント」に過ぎない。 厳しいことばになったが、そう、おもっている。
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ふたたび、区議会議員として
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
ふたたび、区議会議員として ただひとり 9期目の区議会議員として臨む 最初の定例会が、終わった。 おかげさまで ふたたび、区政の場に立つ機会を 与えられたわけであるが、 実は、今回の選挙、 自分自身、様々に 「どうしたものか・・・・・・」 と、おもうところの多いもの、であった。 一昨年の「政権交代」以降、 改善されることなく、国政は混迷と遅滞を続け、 そこに発生した、突然の震災。 直前の出来事の大きさゆえ、 「選挙どころではない」という雰囲気があったのは否めないが 本来、統一地方選、とは 大変大きな、政治的節目、なのであり これまでならば メディアでは、当然そのように取り上げられ、 またそれによって、 「何となく」ではあっても 世の中の人々の話題になっていくもの、であった、のだが 今回は、どうも、そうはならないまま、 だったように、おもう。 選挙や、政治や、政治家に対して とても 「冷めた視線」が、世の中にはあることを 感じないわけには、いかなかった。 私自身のきもちは ひとりの政治家としての「信念」も 区政への「情熱」も これまで以上に、深く、強くなっているのに そのきもちや考え方を どうすれば、伝えられるのか。 これまで、幾度も乗り越えてきた 選挙、という時間を 本当はどう使うべきなのか。 悩んだ末、 ご支援くださる方との話の中から、 「とにかく、歩いて」 「直接、関口を見て、聞いてもらう」 という結論に至り、 歩き回ること7日間。 歩けば 日頃とはまた違う、人やまちの姿が見えた。 直接、聞こえること、感じることがあった。 そして 見えること、聞こえること、感じることから 新たなおもいが、考えが、生まれてきた。 選挙もまた、 政治家としての勉強の場だと感じた 7日間、であった。 お互いが、直接関わることで お互いに対する興味が生まれるのならば 政治や政治家を 「他人ごと」だとおもわれないようにしていくためにも もっと、近づき、発信することが必要なのかもしれない。 今回の選挙で得た「新たな感覚」を持って 区議会議員としての これまでの自分と、これからの自分を 今一度、考えてみようと、思っている。 それにしても 実際に、1日およそ2万歩弱を 7日間毎日歩いたことで 私も、まだまだ十分いけるな、などと ひそかに手ごたえを感じたりした、のだが つい先日、 少し、時間ときもちにゆとりがあって 久しぶりに 池波正太郎氏の「剣客商売」を読み返していたら ・・・江戸から京都までは百二十五里二十丁。 鍛えぬかれた秋山大治郎の足ならば、十日はかかるまい・・・ という一節がでてきて 1日2万歩を7日間くらい、で 歩いたつもりになってはいけない、と、 少々、反省した。 このブログも ずいぶんとご無沙汰をしてしまったが また、気持ちを新たに、書き続けようとおもう。 そして これからの4年間は より一層、 「歩いて、見て、聞いて、考える日々」 に、するつもりだ。