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川澄まさひこ 一般質問より 2018年 9月 19日
定例会
かわすみ 雅彦
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-8
私は、練馬区議会自由民主党を代表し、一般質問をさせていただきます。 各理事者の皆様の誠意ある回答をお願いいたします。 先ず、質問に入る前に、今年6月の大阪府北部を震源とする地震、また、平成30年北海道胆振(いぶり)東部地震、7月の台風の上陸による豪雨災害などにより、亡くなられた方々にお悔やみを申し上げるとともに、被害に遭われた皆様に心よりお見舞いを申し上げる次第です。 さて今年は、大きな自然災害が相次ぐ年となってしまっております。そこで、初めに自然災害対策について伺います。 6月18日の大阪府北部を震源とする地震では、大阪市、高槻市などで最大震度6弱を観測致しました。7月29日時点の総務省 消防庁のまとめによると、死者5名、負傷者435名、全壊12棟を含む住家被害4万1千744棟の被害が発生しております。 我が練馬区にとりまして最も警戒すべき「都市直下型地震」であります。 また、「平成30年7月豪雨」は、台風7号や梅雨前線の影響により、西日本を中心に全国的に大きな被害をもたらしました。同様に8月3日時点の総務省消防庁のまとめによると、広島県での死者108名をはじめ、200名を超える死者が発生し、住家被害は延べ3万4千棟を超え、平成に入ってから最も被害の大きい水災害となりました。 申し上げるまでもなく、災害から区民の生命と財産を守ることは区の責務であります。今般の災害を受け、前川区長は、全庁を挙げて、区の災害対策の再点検を行うよう指示をされました。 区はこれまでも、大きな災害が発生した際に、それを教訓として、より実効性の高い災害対策を構築してきたと認識しております。今般の2つの災害の教訓をどのように捉え、今回の「災害対策の再点検」のなかで、どのように取り組んでいくのか、お考えを伺います。 次に、ハザードマップについて伺います。 区民が避難行動を起こすためには、住んでいる地域の災害リスクを区民一人ひとりが認識している必要があります。その一つの媒体としてハザードマップがあります。 去る8月27日には区内でもゲリラ豪雨による被害が発生し、私の地元である下石神井でも床上浸水・床下浸水の被害が報告されております。 こうした水災害を受け、浸水ハザードマップの重要性が改めて認識されております。これを広く区民に周知し、水災害に備えていただくことが肝要であることは申し上げるまでもありません。
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下石神井小学校について 2018年 7月 18日
まちづくり
かわすみ 雅彦
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-8
下石神井小の総工費は概ね億を見込んでいます。 グランド整備・緑化整備等の全ての工事は夏に完了予定 !! ①下石神井小学校の体育館(避難拠点)に冷暖房空調設備の設置費用約万を計上しました!! 下石神井小学校は区立の全小中学校の中で 最も設置が速く設置出来ました!! ※練馬区は概ね毎年校ずつ、約年間かけて校全ての区立の小中学校に避難拠点である体育館に空調設備を設置します。 よって、引き続き、石神井小学校の体育館にも区に強く早急な空調施設の設置、 費用の議案化にむけて全力でがんばります ②下石神井小学校備品購入費用 約万円を計上しました!! ③下石神井小学校の基礎工事(地盤改良)費用 約万円を計上しました!! ★平成年月!! 仮)練馬区立下石神井五丁目公園 外周部(住宅側) ・中低木をベースに緩衝緑地を設けます。 ・宅地との境界には高さのフェンスを設けます。 運動ゾーン ・高齢者が使用可能な健康器具を配置します。 遊戯ゾーン(南側) ・~才(児童)主体として遊べる遊具を配置します。 外周部(道路側) ・緩衝緑地を設け、道路から公園から見通せるよう整備します。 ・道路との境界には高さ程度のメッシュフェンスを設けます。 遊戯ゾーン(南側) ・~才(幼児)を主体として遊べる遊具を配置します。 草地(ニッケイの根回し工事について ) ニッケイの木については公園 整備工事に伴い移植をする予定ですが、移植後の生育をよくするための処置(=根回し)を以下の期 間で行います。 ※本整備工事とは別に 先行して行います。 平成工事期間:年3月上旬~ 平成年3下旬(予定) 川澄まさひこ 議会レポートより抜粋
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川澄まさひこからのご挨拶 2018年 7月 18日
その他
かわすみ 雅彦
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-8
早いもので、 練馬区議会議員として年が経ちました。 この間、地元の皆様にお約束した、 病院の増床、住みやすい街づくり、 道路の整備、カ ーブミラーの設置、地区区民館の改修、 西武新宿線の高架化(地下化)等々、 山積する様々な地元の課題に取り組み、 着実に一歩一歩、前進し、実行してまいりました。 前川あきお区長を支えながらも、 一方では、その政策に対し、行政に対し、 是々非々の姿勢で取り組んでまいりました。 区議会自民党の一員だからこそ、 様々な課題の実現が着実に前進することが出来ます。 勿論、我々自民党として、改善すべきは改善し、 個人としても反省すべき点は反省しながらの毎日であります。 我が練馬区は、昭和22年に板橋区から独立し、 人口11万人であったまちは、 72万8千人が暮らす大都市へと成長しています。 一方、発展が急激であっただけに 練馬区の特に西側(下石神井エリア)の鉄道や道路などの インフラ整備が不十分なまま都市化が進みました。 大きなハンデですが、チャンスととらえることも出来ます 。 豊かなみどりや農地が残り、地域の絆も生きています。 今後とも、地元の皆様とともに、 地域 の課題を着実に解決に向けて前進することをお約束し 「川澄まさひこ」から のご挨拶と致します。 「平成年議会レポートv」 より ★かわすみ雅彦 プロフィール://--///
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練馬区長選挙2018開票結果 2018年 4月 16日
編集室から
編集室
練馬区議ウェブ議員新聞から
2018-11-8
4月日に行われた練馬区長選挙は当日開票され、練馬区長に 前川あきお氏() が当選しました。10万票以上で新人候補3名に圧勝した前川氏は、今回の当選で練馬区長二期目。 投票率は、3138%で、前回の選挙を03ポイント下回りました。 選挙結果は以下 当選 前川 あきお 票 松村 友昭 票 田中 まさゆき 票 大木 武夫 票 投票者総数 有効投票総数 無効投票総数 不足票数
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人生の本舞台 2018年 3月 13日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-8
平昌オリンピック・パラリンピックでの熱戦は 記憶に新しいところだ 四年に一度の戦いの場に立つこと そしてそこで、実力の限りを出し尽くすこと 競技中継や 選手たちのコメントを見ながら その場に臨む重圧と 一瞬のために日々積み重ねてきた 努力と時間をおもうと同時に ある政治家の言葉を、おもいだした その政治家とは 明治二十三年の第一回総選挙から 連続二十五回当選 昭和二十八年まで六十三年間衆議院議員を務め 「議会政治の父」「憲政の神様」とよばれた 尾崎行雄(咢堂)である 彼がそう呼ばれたのは 議会政治の黎明期から 依然残っている藩閥や軍部など 議会をないがしろにする勢力と対決してきたからだという 昭和のはじめ 尾崎は盟友である犬養毅を事件で失い 療養中だった夫人も亡くす 自らも病床に伏して打ちひしがれていた時 天啓のように ある言葉が頭に浮かんだという 「人生の本舞台は 常に将来に在り」 たとえ今 どんな苦境にあろうと それを糧にし、前に進むこと 今 どれほど成功しているとおもえても それに満足すれば それ以上の成長はないこと 怪我や逆境にもがき苦しみ その中にあっても 自らを奮い立たせメダルを手にした 幾人もの選手たちの姿に この言葉を 改めてかみしめた オリンピックと並べるのは 少々気が引けるけれども 四年に一度 戦いを迎えるのは 地方議員も同じ、である 自分自身 信念を持って議員として生きてきたという自負がある だが 時局や政局が 自分のおもわぬ方向に展開してしまうこともある 自分がこれまで大切にしてきた 政治家としての「流儀」が 通用しない場面に遭遇することも、多い 一体何を信じればよいのか どうすればよいのかと 考え込んでしまうこともある そんな時 私はいつも この尾崎の言葉を、おもう なぜなら彼が 人生の本舞台を将来に見据え 軍部の台頭に再び立ち向かう闘志を奮い立たせた その時は 今の私と同じ 七十代半ばのことであったから 私なりの 区議会議員としての生き方で 前に そして次に進むこと 私のこれからの、目標である 憲政記念館に掲げられる 九十四歳の尾崎がしたためた 「人生の本舞台…」の書はまた 人生百年時代の 心の支えでも あるのだ
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我が家とのしばしの別れにおもうこと 2017年 12月 14日
まちづくり
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
この夏、引っ越しをした。 区が進める 「密集住宅市街地整備促進事業」に伴う 生活基幹道路A路線の整備(拡幅)のためである。 貫井・富士見台地区まちづくり計画は この地区の 歩道のない、狭く曲がりくねった道路や 公園緑地の少なさ 新耐震基準以前の建築物の多さ などの問題を解決し 災害に強く、安全・安心で住みよいまちづくりを 実現するために 平成23年から始まったもので 今回、私の自宅を含むエリアが対象となったのである。 引っ越しにあたって 荷物を整理してまとめるには 随分時間がかかった。 懐かしい写真や、おもいがけないものが出てきて 色々と考えることも多かった。 しかし何よりも 十数年暮らした我が家が このあと取り壊されること、に、さみしさを覚えた。 孫たちが生まれ、育ってきた家。 小さな庭には 二番目の孫の河津桜をはじめ それぞれおもいでのある樹々。 家に対する愛着とは、これほどなのか、と 少し、おどろいた。 住み慣れた貫井町から離れたマンションでの仮住まいは 部屋数からも 今までのように「自分だけの空間」を持つことが難しい。 今はまだ何となく、落ち着かない感じだ。 今回のことで、改めておもったのは 災害で家を失った被災地の人たちのことだ。 私のように、区の事業で 計画も日程もある程度分かっていての 自宅の取り壊しであっても これほどに労力を使い、気持ちの整理も必要である。 ましてや 突然の災害に見舞われ 自然の力に抗うこともできず 住み慣れた家やまちを そっくりそのまま失ってしまうことは どれほど辛く、かなしく、 言葉にならないほどのおもい、であろうかと。 そしてまた 仮設住宅など、これまでと異なる住環境に 長期に身を置き 復興に向けて努力していくということは どれほど大変なことだろう、と。 東日本大震災以降にも、数々の災害が起こり 今年の夏も豪雨や台風の被害が発生した。 復興関連の記事も 被災状況を伝えるニュースも 今の私には 今までより一層、重く感じられる。 被災地の人たちの気持ちをおもい 心を寄せ続けること。 今一度、しっかりと心に刻みたいと、おもう。 まちづくり事業は 20年以上の長い時間をかけて進められる 地域の皆さまの ご理解とご協力なくして、進まない事業である。 今後も、この事業によって 住み慣れたまちが より住みよいまち、愛せるまち、になるよう 区政の場で、努力していきたい。
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変えるのか 変わるのか 2017年 12月 14日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
今年の春 中学を卒業した孫と 初めてふたりで旅をした。 目的地のひとつは 私が学生時代に 大変お世話になり影響を受けた 薬師寺。 旅行の日程が花会式に当たるので ぜひ見せたい、とおもったのだ。 村上太胤管主にもお会いし昔話をしていると 管主が急に おじいさんが結んでくれたご縁なのだから 法要期間、薬師寺に泊まって奉仕活動をしてはどうかと 孫に勧めはじめた。 本来は高校生以上が参加するのだが 4月には高校生になるのだから特別に許可しようと言われ さあ、どう答えるか、とおもっていたら 「よろしくお願いします」と一言。 少し驚いたが それから二日間、花会式とお寺での生活を経験し ひとり新幹線に乗って戻ってきた。 どうしているだろう、と、少々気をもんでいたが 帰ってきたときの表情も、その後の雰囲気も これまでと少し違っているような 彼の中で何かが、ちょっと変わったのかもしれない そう、おもった。 自分で選んだ高校に進み 幼いころからの夢に向かう孫の横顔は 最近、時にとても、大人びて見える。 昨年来、政治の世界では「変える」という言葉が キーワードになっているようにおもう。 都知事を始めとして様々な政治家が 議会や行政のあり方を「変える」という。 しかし、私にはこの「変える」という言葉が 少々傲慢であるようにおもえてならない。 時代や社会が変化していく中にあって 議会や行政、議員や施策も変わっていくのは当然であり また、変わらなければならないもの、である。 しかし、今言われている「変える」は 今の議会や行政を、古いもの、変えるべきものとして対峙し 自分たちのやり方こそが正義であると述べるための 方便であるように感じる。 もちろん 我が自民党にも、練馬区議会にも、練馬区政にも 変えるべきところは多々あるとおもう。 しかし、何もかも変えればいい訳でも、ない。 むしろ私を含めた、議員一人ひとりの意識 行政に携わる職員一人ひとりの意識が ほんの少しでいい、「変わる」ことの方が 議会や政治を、 後々大きく「変える」きっかけになるのではないか。 時に大ナタを振るう必要があることもまた 事実ではあるのだけれど。 人が「変わる」きっかけは様々である。 孫にとって、薬師寺との出会いもそのひとつであったなら 祖父名利に尽きる。 そしてもうひとつ、彼に贈る言葉は 「心変わりだけはせず、前に進め」 である。
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今 ここにいる ありがたさ 2017年 1月 27日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
練馬で生まれ育ち これまでの人生のほとんどを 練馬で過ごしてきた私だが もうひとつ 大切におもっている「ふるさと」がある 母の実家のあった、千葉県のとあるまちである 小学生のころまで 毎年夏になると 母に連れられてそのまちへ行き 母の実家に寝泊まりして過ごしていた 浜辺で地引網を引き 池に魚を取りに行き 田畑で虫を取り ・・・朝から晩まで、自然の中で遊びまわった 一人っ子だった私にとって 親戚の子たちと大勢で過ごすこともまた 実に楽しかった 幼い私に刺激を与えてくれた 新鮮な魚の味、海のにおい、真っ青な空は 間違いなく 今の私の一部になっている、と、おもっている そんな千葉の「ふるさと」には 先日閉店した、秩父の蕎麦屋のご店主 お勧めの日本酒の酒蔵もある いつか訪れてみたいとおもい続け 昨年月のある日、ようやく実現した 東京から特急に乗り込み時間と少しで到着 子どもの頃には 朝練馬を出て、電車を乗り継いで到着すると 夕方になっていたのとは ずいぶん違っている 駅前の風景も 子どもの頃の記憶とは違っていて すぐには馴染めなかった 母の実家は駅の東側だったという記憶と 地図を頼りに進むと 酒蔵が見えてきた 杉玉のつるされた木の門をくぐり 作業場に併設された販売コーナーに行くと 若い女性が それぞれの酒について説明しながら 試飲させてくれる 秩父の蕎麦屋で一番多く飲んだもの 自然農法で育てた米で仕込んだもの 仕込み方の違いでまるでワインのような味のするもの年熟成の古酒など 一口ずつではあるが、様々な味わいに この蔵に出会えてよかったとおもった 説明をしてくれた女性はこの蔵の娘さんで 彼女もまた 自分の蔵の酒を大切におもい 自分の言葉でその酒の味や香り、作り方を伝え 大切に味わってもらいたいとおもっているのだな、と感じた 試飲しているとき この蔵の四代目にお会いできた 秩父の蕎麦屋でこの酒に出会ったこと 自分の母の実家がこの地であり 幼いころ夏を過ごしたことなどを話した 四代目の顔はおだやかだが 自らの蔵を守り育てた強さも感じる この蔵の酒を思わせる方であった 秩父の蕎麦屋のご店主も 四代目も 本当に良いご縁をいただいたとおもう そして 同世代である自分もお二方のように 自分のおもう道を まっすぐに生きていきたいと 心から、そうおもった 結局 母の実家は見つからなかったが 川や海辺 丘や生け垣の小路など 幼いころに見た風景は、まだ、残っていた 小春日和 少し汗ばみ歩きながら 母をおもい これまでの自分の人生をおもい 自分がいま、ここにいることのありがたさに 胸があつくなった
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「出たい人」より「出したい人」 2016年 12月 1日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
おかげさまで 今年私は、議員生活年を迎えた 節目の年 よく、おもいだすのは 初めて選挙に出馬したときの 様々なことだ そのころ私は 父の代からの自動車整備業を営んでいて 議員になる、などということは まったく考えたこともなかった それが それまで支援していた議員に代わる人間を擁立し 次の選挙を戦わなくてはならなくなった 地元の方々の話の中で 様々な理由から 私の名前が出てきた、というのだ 出馬するよう説得にやってくる 地元の人たちの 「お前にやってほしい」という 真剣な気持ちに 押しつぶされそうになりながら 大変に悩んだあげく 私の足は いつの間にか 奈良 薬師寺へと向かっていた 高田好胤猊下は いつものように迎えてくださったが 何故私がやってきたのか まったく訊ねもしない 三日ほど経ったころ ようやく私が ことの顛末とともに 「どうしたらよいか、分かりません」 と告げると 好胤猊下は、ただ、ひとこと 「関口、アホになれや」 この言葉と 薬師如来さん、日光さん、月光さんのお顔を見て 私はようやく 支えると言ってくれる人たちの気持ちに応えること ただ、それだけのために生きる 「アホ」になろうと決心したのである 以来これまで アホであることを自覚し アホだからこそ 様々に人に訊ね、教えを乞い、 アホなりに考える議員生活だったとおもう 日本の政治史に 大きな足跡を残した女性政治家のひとり 市川房江氏の言葉に 「出たい人より、出したい人」 というのがある 私の思想信条としては 市川氏と それに続く方たちとは相容れない部分も多いが この言葉については 言い得て妙、というか 自分が議員になった経緯は まさにこの言葉のようであったと、おもう 「出たい人」ではなかった私が 私のことを「出したい人」だと おもってくれる人たちに支えられて 選挙を戦い議員となり 紆余曲折はありつつも年、議員として 仕事をする立場を与えていただけている 本当に おかげさま・・・とおもわずにいられない 人生である ところで 先般の都知事選では この言葉の 奥深さと難しさとを 改めておもうことになった 他に先駆けて出馬を表明した小池氏は その時点では 「出たい人」、であった それに対し 自民党も他党も 「出したい人」を選んだ、と言って 別な候補を擁立した しかし その候補者が 「誰にとって、出したい人」なのか 「何のために、出したい人」なのかが 不透明であったと、おもう そうこうするうち 本気で都政に向かおうとする 小池氏の姿勢と明快な発言が 有権者の心を動かし 彼女は 「出たい人」から「出したい人」に そして「なってほしい人」に なっていたのだと、おもう そんな 「うねり」を感じさせる結果であった 今年も 残すところ二ヶ月を切った 好胤猊下の説法を読み返し これからもアホであり続けねば、と 気持ちを引き締める そんな晩秋の夜である
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奈良・薬師寺 村上太胤管主講演会のご案内 2016年 10月 8日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
おかげさまで 今年 議員在職35年表彰と 総務大臣感謝状をいただきました ただ政治家として日々を積み重ね 今日に至る その最初の決意を決めたのは 大学時代からお世話になった 奈良・薬師寺で 高田好胤猊下の 「関口 アホになれや」 この ひとことでした 私にとって とても大切な薬師寺さんとのご縁で 今年も 薬師寺管主をお迎えして講演会を開催します 思想、信条に関わらず 多くの皆さまに 村上太胤管主のお話に触れるひとときを お過ごしいただければとおもっております 参加ご希望の方は メールまたはファックス、お葉書にて お名前、ご住所、ご連絡先をお知らせください どうぞよろしくお願いいたします 奈良・薬師寺 村上太胤管主講演会 ~般若心経の心 さわやかに生きる~ 日時:平成28年10月29日(土) 午後3時(午後2時半開演) 場所:練馬区立練馬第二小学校 (練馬区貫井2-31-13) 会費:¥1,000 (当日会場でお支払ください) 連絡先は メール:@FAX:03-3998-1752 お葉書の場合は 〒176-0021 練馬区貫井3-53-8 関口和雄事務所
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大切な蕎麦屋 2016年 9月 12日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
今から年ほど前 駆け出しの議員だった私は 区政や議会、行政について語り合える 先輩や仲間たちと とある蕎麦屋を訪れた その時分は とにかくうまい蕎麦と日本酒 そして 仲間たちとの語らいに夢中になったものだ しかし数年前 その蕎麦屋を再び訪れて 変わらぬ蕎麦のうまさもさることながら なにより「空気」がいい、 ということに気づいた 自分のペースで 酒を楽しむもよし 蕎麦を食べるもよし その店の中に身を置くことが とても心地よく なにより一番いいのは 店主のお顔である 蕎麦の味の丸さ 店の空気のおだやかさそのままの まなざしをされている それ以来 月に一度は時間を作って その店の すべてを味わいに行くようになった そうするうち 店主や奥様と言葉を交わすようになり 店主と私は同年であること年ほど前に サラリーマンから蕎麦屋へ転身したこと 日本酒がとてもお好きであること など 互いに何となく 相通ずるものを感じるようになった 以来 店を訪れるたび 自分の目指す蕎麦を打つ店主の姿に 私も負けずに 政治家としてさらに精進しなくては、と おもいを新たにしてきたのである月 人づてに かの蕎麦屋が 今年の月いっぱいで店を閉めるのだと聞いた 何があったのだろうかと気をもみながら 先日ようやくお会いすることができた 変わらずおだやかなまなざしのご店主は 蕎麦屋のほかに、まだやりたいことが、あるんです やるなら、今しかない、とおもって決めたことです 何をするかは、まだ、ナイショです そう言って、静かに でも ちょっといたずらっ子のように笑う 隣の奥様も 蕎麦屋を始めたときと同じ やると言ったらやるんだから、仕方ないですね と、微笑んでいる この店の蕎麦だけでなく この空気を もう二度と味わえなくなるという 寂しさを感じながらも 同年のご店主の 今、また一から「やりたいこと」に 向かおうとする気力と姿勢を前に 負けられないぞ・・・ むくむく闘志が湧いてきた ならば私は これからも政治家ひと筋に全うするのだ、と 私は期目の議員である 多選や年齢について とやかく言う向きがあることも承知している しかし これまでの経験とともに 年齢を重ねた 今の私だから持てる視点、考えを活かすことこそ 私の役目だと信じている 政治、経済、社会保障、災害からの復興と 今の日本は 様々な課題を抱えている 政治家として 自分はそれらにどう立ち向かうのか 私の大切な蕎麦屋が 店を閉める月までは できる限り店を訪ね 蕎麦と空気を味わい 心に刻み 英気を養うことにしよう
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熊手に込める おもい 2016年 1月 30日
民間委託
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
我が家には 家族全員で迎える 恒例行事がいくつかある。 孫たちの成長とともに 少しずつ形は変わっているが 酉の市も、そのひとつだ。 酉の市といえば熊手。 我が家でもかならず前年のものを納め 新しいものを買い求めている。 この熊手を買うときの 熊手商さん達とのやり取りが 酉の市の楽しみのひとつだ。 熊手には、値札がついていない。 だから「これ、いくら」で始まり 「ちょっとまけて、いくら」で取引成立したら 負けてもらった分は ご祝儀として店においてくる。 そんな粋な買い方をする大人たちを 幼いころから目にしてきたから 熊手はそうやって買うものだと おもってきた。 普段の買い物とは違う 祭りや縁起物独特の味わいが、好きだ。 数年前新聞に 浅草酉の市の一部の店での 熊手に値札をつける取り組みが取り上げられていた。 「値切るのが恥ずかしい」 「値切るのにためらいがある」 というアンケートに基づいた試みだったようだ。 今現在、その値札がどうなっているのか分からないが にぎやかな祭りの店先で いつもの買い物と同じように 値札のついた熊手を 「商品」として選ぶ姿は 少しさみしいように、おもう。 年に一度 一年の無事を感謝し 新たな一年の幸せを祈願する。 縁起物には そんな意味や気持ちが込められているのだから 本来ならば 縁起物に値段がついているということ自体 無粋なことだ。 だからこそ その場のやり取りと お互いの気持ち そして値切る会話を楽しむ。 値切った分をご祝儀にするのは 売り手と買い手が ともにいい気分を味わえるからだろう。 お互いにとって よい年になりますようにと、おもいあう場 それが祭りの「市」なのである。 ところで 区議会で、事業の民間委託案件を扱う時 気になっていることがある。 限られた財源を 必要なところに 可能ならば 金額を抑えながら 必要な分をあてること、は もちろん必要である。 しかし 民間委託の理由の第一が 予算の削減 つまり、「安くするために値切る」ことだとするならば それは、大きな間違いである。 たとえ予算額は変わらずとも 民間のノウハウを導入することで 事業の質が向上する それこそが、民間活用の本来の姿ではないか。 区の担当職員は 委託先に丸投げにせず 常に現場を意識し 受託する側も 事業の理念を理解し 心をこめて運用にあたる。 区と事業者が、ともに事業を大切に扱い 互いのおもいを共有することができれば その事業のレベルは、確実に向上するだろう。 安く買うために 熊手を値切るのではない。 値切り分は ご祝儀として売り手の気持ちを潤し 買い手自身の気持ちも潤すのだ。 民間企業や団体と そんな温かい関係が築けるような 区政でありたい。
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究極の災害対処法 2016年 1月 16日
災害・防災対策
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
日本語には 雨を表す言葉がたくさんある 一説によれば 400を超える「雨」があるのだそうだ 美しい響きを持つ雨も、多くある しかしどうも今年は 「豪雨」という言葉ばかりが 目立ったようにおもう 特に 関東・東北豪雨での甚大な被害は 自然災害であると同時に 一部の自治体において 予測される災害への対応と対策が 十分に機能しなかった結果であるようにも感じる もちろんこれは その自治体を責めるものではない 私たちの住む練馬区で 災害が発生したとき 自治体として 本当に適切な対応ができるよう 常に備えておく必要を 肝に銘じているところだ 海上保安庁出身で 南極観測隊の料理担当として越冬経験もある 西村淳氏の著作に 「身近なもので生き延びろ―知恵と工夫で災害に勝つ―」(新潮社) というものがある タイトルだけ見れば 災害時マニュアル本のような印象だが 実際には 「災害にあったとして グチャグチャになってしまった環境でも 泣き暮らして他者の救済が舞い降りてくるのを じっと待つだけでなく 少しでも居心地よく、楽しく、住みやすく、 そしてちょっぴり元気が出てくる方法」 なるものをテーマにしている 不意の災害に襲われた時 準備していたはずの防災グッズが 見当たらなかったとしても その時そこにある 雑誌、新聞紙、段ボールに牛乳パック ラップにガムテープにゴミ袋があれば こんな風に使えるかもしれないという 前向きで明るいアイディアに 何となく 生き延びられそうな気がしてくる 著者は 厳しい気候と 極地ゆえの様々な制約と 脱出不可能な閉塞感のある場所 つまり 災害時の避難所のような環境ともいえる南極で 「そこにあるもの」を使って 様々な料理を作り 日々生活を営み また海上保安官としても 海難事故の現場で 生命の危機に瀕した人々を 救い出してきた それらの経験から 災厄やトラブルに遭遇したとき 人間として茫然としてしまうのは当然だが その後 ただ悲嘆にくれているだけの人より 一度心をリセットして その後の処理に当たろうとする人の方が 格段に 「立ち直りパワー」が強いことに 気づいたのだそうだ だから 西村流究極の災害対処法は 「小さな楽しみを心の中に作る」 これだけでよい、という こころを少しホッコリさせれば 復興に向かう人間力は 確実に高まるのだと 自然災害は 他人事ではなく いつか自分も必ず向き合うものだ 施策的、物理的な備えはもちろんだが まちを復興させる原動力となる 地域住民一人ひとりが 「災害時にあっても、ちょっぴり元気を出せるような備え」 についても しっかり考えてみたいとおもう
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「本当にわかる」ということ 2015年 12月 10日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
選挙も終わり、十期目のスタートを切った矢先のことだ。 駅の改札付近を歩いていると ひとりの若者が スマートフォンを見ながら 前から歩いてくるのが見えた。 その若者は 突然私の方に向かって曲がり 彼の頭が、私の顔面にぶつかった。 私の眼鏡は割れて吹っ飛び 目の上を三針縫う怪我をしたのだが 彼は立ち止まりもせず 改札の中に消えていったのである。 ながらスマホが原因の事故の話を 最近よく耳にするが 自分が実際に遭遇すると 本当に危ないと、実感する。 街中でも 電車の中でも どこでもスマホに熱中する人たちの姿を見ると 少々気味悪く感じる時もある。 そんな自分は 頭が固くて古いのだろうか と、おもっていたら 信州大学の入学式での、山沢学長の挨拶が話題になっていた。 ことの起こりは 4月5日の朝日新聞デジタルに掲載された 次のような記事である。 「『スマホやめますか、それとも信大生やめますか』。(中略) 山沢学長は、8学部の、新入生約2千人に、こう迫った。」 この一文が 挨拶全文を踏まえずに独り歩きし ツイッターなどで 賛否両論が巻き起こったというのだ。 後に 大学のホームページに掲載された 学長挨拶の全文を読んでみると 確かに 携帯電話やスマートフォンを 「毒」だとする強い言葉もあるが 学長の真意は その後に続く 次の言葉に込められているとおもう。 「スイッチを切って、本を読みましょう。 友達と話をしましょう。 そして、自分で考えることを習慣づけましょう。 自分の持つ知識を総動員して ものごとを根本から考え 全力で行動することが 独創性豊かな信大生を育てます。」(信大より) 大学時代にしかできない経験をして しっかり学び 自分を高めるために 自分の時間を有効に使ってほしい 学問の先輩として 後輩たちに気持ちを伝えたい そんな学長のおもいが 伝わってくる文章である。 スマートフォンのくだりからだけでは 分からないことが多いのに 不確かな情報に 一時の感情で反応し ネット上で自分の言い分を書き連ねるという行為は あまりほめられたものでは、ない。 スマートフォンやインターネットの利便性を 否定する気はないが 時と場合に応じ 理性ある使い方をすべきだとおもっている。 検索したことを鵜呑みにし 分かったような気になるのも危険なことだ。 現場に行き、人に会い 自分自身の目で、耳で、肌で感じずに 本当に分かるということは あり得ないからだ。 これは学生も政治家も、同じである。 10期目の4年間は より一層現場感覚を大切に 血の通った政治を進める努力をすると 改めて心に誓いながら 日々過ごしている。
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桃栗三年柿八年 議員の花実はいつ結ぶ 2015年 4月 24日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
我が家には ささやかな庭がある 折に触れて 気に入った木や草花を植えているので 居間からは 四季折々の眺めと それらの木や花をめあてに集う 鳥や虫たちの息吹を 身近に感じることが、できる 庭の木には 孫が気に入って買ったものも、ある 二番目の孫の 小学校入学記念に彼が選んだのは 「河津桜」であった 今年 六年生になった彼の桜は いつしか大人の背丈ほどになり まだ寒さの残る春先 やさしいピンク色の花を咲かせた 自分で大切に世話をして 彼が家を巣立つとき、この桜を持っていく というのが 彼との約束、である 他の家族にも それぞれに おもいのある木や花が、ある 本当に小さい庭だが 私たち家族にとっては 大切な場所、なのである 忙しい日々の中でも 時間を見つけては この庭の 草取りや手入れをしたり 新たな草木を植えたりするが おもいのほか 育てるのが難しいこともある そんなとき、おもいだすのが 「桃栗三年 柿八年」 という、ことわざ、だが 先日読んだ本で このことわざに「続き」があることを知った その本の作者が気に入っているのは 「柚子は九年で花が咲く」だが 「柚子は遅くて十三年」 「梅は酸いとて十三年」 「枇杷は九年でなりかねる」 「梨の大馬鹿十八年」 などなど 言い方は地方によって 様々であるらしい いずれも 収穫に至るまでの時期を表す俗言だが 転じて 物事が成就するまでには時間がかかる という ことわざになったものだ 人生にも 「花を咲かせる」とき 「実を結ぶ」とき、があるだろう 自分にとってのその時期を いつだと捉え どのように迎えるのか 最近よく 自分自身に そう問いかけている 関口和雄という 「一本の議員の木」は 三十余年の議員生活の中で じっくりと時間をかけ 諦めることなく努力し、勉強し 精進を重ねてきた 若木の頃に比べれば 根も張り、幹も太く、枝も繁っているだろう 木としては 立派になったかも、しれない しかし 議員として生き、仕事をすることにおいて 木が「花を咲かせること」「実を結ぶこと」とは いったい、何を指すのだろう、と考えたとき むしろ 今の木になったからこそ 「咲かせられる花」「結べる実」が あるのではないか と、思うようになった 同じ花でも 我が家のささやかな庭で 二番目の孫の河津桜が咲かせる花の可憐さと 我が母校 大泉高校の校内にある 樹齢を重ねた八重桜が咲かせる花の優雅さは それぞれ違うが その違いこそが 何物にも代えがたい それぞれの木が持つ特徴であり すばらしさ、なのだ 樹齢三十余年の 一本の議員の木、として 今の自分だからこそ 「咲かせられる花」「結べる実」をもとめて 変わらず そしてより一層 努力するつもりだ
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本当のコトを皆さんにつたえる! 2015年 3月 10日
まちづくり
田中 ひでかつ
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党 副幹事長
2018-11-7
妻: インタビューするのは二回目になるけどお願いします。 最近の練馬区は以前と比べて少し垢抜けてきたように思うけど? 私: そうだね、練馬駅前には「ココネリ」もオープンして、以前より駅前に活気がでたし、石神井公園の駅も西武線が高架になり駅前広場が完成間近、大泉学園駅周辺も再開発が着実に進んでいる。 「まちづくり」の面では遅れていた練馬区はまだまだ伸びしろがあるな… 妻: 「まちづくり」以外で最近練馬区が頑張っていることは? 私: そうだね保育園の待機児童対策として、昨年は名今年は名定員を増やしたんだ、それでも保育園に入りたくても入れない人もいるけど… 妻:人も定員を増やしたのになんで待機児童の解消ができないの? 私: 若い夫婦は所得も低いし将来のことを考えると夫婦共稼ぎの家庭が増えている。それに女性の社会進出は時代の流れだね… 妻: 待機児童解消に向けて打つ手はもうないの? 私: あるんだ…今の待機児童はほとんどが、0歳と1・2歳なんだ3歳以上は待機児童はない。だから0・1・2歳の枠だけを増やす。そして3歳以上は延長保育が可能な仕組みを取り入れた「私立幼稚園」で預かってもらう計画を練馬区は今後進めようとしている。「私立幼稚園」で延長保育が行われれば幼稚園は「保育」を目的とするだけでなく、「幼児教育」を行う施設だから保護者にとってもありがたい。 妻: 早くそうなるといいね!その他に練馬区が頑張っていることは? 私: まだまだあるよ…今年、高松に「農の学校」が開設された。それは、高齢化した農業者を手伝うことが出来る人材を育成することで、緑豊か「農の風景」を守るための大きな一歩なんだ…その他に「都市農業」を守り、新鮮な地場野菜がいつでも区民が食べられるよう努力をして行く…年の「オリンピック・パラリンピック」が開催したら、選手村に新鮮な練馬の野菜を届けようと頑張って行くつもりなんだ… 妻: 「都市農業」って夢があるね… 私: そう…大都会「東京」に「畑」があるとは世界の人たちは思ってないからね…ハハハッ…それが練馬の良いところ! 話は変わるけど練馬には他にも良い材料がある…練馬は病床不足が深刻な問題だけど、「順天堂病院」も入院に必要なベッド床の増床が決まったし、「光が丘病院」も光7小跡地に新築で移転する計画を立てている。高齢者が増えるから「地域医療の充実」は欠かせない。 妻: これから心配なこと困ることはなに? 私: 練馬区の今年度予算は約億円なんだけど「生活保護費」は億円(平成年は億円)で全体の約%以上かかっている。それに保健福祉費とこども家庭費を合わせると、約億円になる。予算の半分以上なんだ、これから先の社会保障費は莫大でしばらくはこの様な状況が続くと思うんだ。そうすると自由に使える財源が乏しくなるね…ちなみにさっき話した保育園の予算額は億万円で保育園児一人にかかる費用は年間万円かかっている…きれいごとばかりでなく、実際これだけ福祉には財源が必要なんだ…「本当のことを皆さんにつたえる!」ことはこれから先、大切なことだと思う。 妻: 何か方法はないのかな? 私: 徹底した行政改革を行うしかないね…これまでにも平成年から練馬区は人の職員数を減らしてその財源を「保育園の待機児童対策」や増大する生活保護費などの「社会保障費」に充ててきたんだ…だからこれからもその流れを止めてはいけない。そのために区議会議員として頑張ってきたんだから… 妻: 大変なことかもしれないけど頑張らないとね! 私: これから、練馬区をさらに「住みやすいまち」を目指すならば、高齢社会対策・子育て支援策はもちろん、まちづくり、産業振興、都市農業の振興、医療、教育、全ての分野で気を抜かずに努力を続けなければいけない。先日、前川区長とこんな話をしたんだ…練馬区はまだまだ「伸びしろ」があるから他の区に負けないように行政改革をすすめて年後、年後には、全国の人がこの「練馬区」に住んでみたいと思われるように頑張りましょうと…区長も「もちろんそのつもりです!」と気合の入ったご返事だったよ。 妻: あなたも気合いれて頑張って下さい。
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ウイスキーに誓う 貫く人生
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
去年今年 貫く棒の 如きもの 高浜虚子 毎年、大晦日から元旦にかけて 地元の八幡様で新年を迎えながら 心におもう句である。 あまりにも有名な句なので ご存知の方も多く 解釈もいろいろあるだろうが 私は 「去年と今年とは、何も変わらず 一本の棒のようにつながっていて 止めることも、断ち切ることも、できないが そんな時間の中にある自分もまた 貫く棒のような信念を持って 変わらず、動じず、生きていくのだ」 という 背筋をピンと伸ばしたくなるような句 だと、おもっている。 今年も 八幡様の前で手を合わせ 貫く棒のような一年を しっかり生きていくのだと 気を引き締めてきた。 ところで この句を覚えている理由のひとつは 「貫く」という言葉である。 何かにひと筋に、ひたすらに 変わらないものを持って向かっていく そんな 潔く強い言葉だと、おもう。 そういうふうに生きたい、と、おもう。 ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝は 今から年前 「国産初のウイスキーを作る」と誓って スコットランドに渡り 本場のウイスキー作りを学んで帰国、 紆余曲折を経て 北海道余市に蒸留所を作った。 まさに ひと筋に貫いた人生、である。 そして そういう彼の「貫く人生」を支えたのは 異国の地で 共に生きることを選んだ妻、リタであり 彼を慕う部下たちであった。 その支えがあったからこそ 国産初のウイスキーは生み出され それから年を経た今も、 大切に受け継がれているのである。 「ウイスキーで苦しみ、ウイスキーで喜んだ人生であった」 竹鶴が自伝に残した言葉だ。 想像を絶する 数々の出来事があった人生に違いないが こんなふうに言い切れる生き方ができた彼が うらやましくも、ある。 翻って 自分の人生を、おもう。 正直、最初は おもいがけなく議員になったようなものだった。 しかし 議員として様々に学び、経験する中で 自分の生きる道は、議員しかない、と おもうようになった。 以来 議員として できる限りのことを、真摯に、懸命に果たしていく そういう気持ちで 貫いてきたつもりだ。 そしてまた どんな時も、いつも変わらず支えてくれる 先輩方や仲間や家族がいるからこそ 初当選から三十余年 議員として生きることができているのだ、と 日々実感し、感謝している。 最近 ドラマの影響もあってか ウイスキーを飲む機会が増えた。 これからは いつも、最初の一口を口に含むとき 竹鶴の生き方をおもい 自分もまた 「貫く人生」で行くことを誓おうと おもっている。
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上野ひろみ 一般質問(要旨)その2 2015年 1月 23日
定例会
上野 ひろみ
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
<鉄道駅のバリアフリー化について> 【質問3】 「地下鉄赤塚駅」をはじめとした、区内の鉄道駅の更なるバリアフリー化について、現在の進捗状況と、今後の取り組みについてお伺い致します。 また、ハード面の整備と合わせて、障害者等に配慮した情報提供や、思いやりの心の醸成など、ソフト面の取り組みの推進も不可欠であると考えます。鉄道事業者と連携した、これからの取り組みについても、強く要望致しますが、区のご所見をお聞かせ下さい。 【⇒3答弁】 利用者の実態調査やアンケートを実施し、バリアフリー施設に関する改善点などを整理したところです。地下鉄赤塚駅において、練馬区側の出入口について、エレベータ設置の計画を進めています。現在地域の方の協力を得て、現地調査を進め、来年度の工事着手に向けて、関係者との詰めの調整を行っています。 <自転車駐車場の整備について> 【質問4-①】 午後の時間帯になると、駅周辺の商店街での買い物客等で、午前の約2倍から4倍の放置自転車が発生している現状もあることから、更なる取り組みの強化が必要であると考えますが、区のご所見をお伺い致します。 【⇒4-①答弁】 地域の協議会などと協働し、撤去時間の拡大や、店舗等の敷地からはみ出した自転車の対策など、午後の放置対策をさらに進める。 【質問4-②】 本来「ふれあいの径」は公園であり、駐輪機が大量に設置されるのは好ましくありません。私は以前から提案をさせて頂いております、光が丘駅周辺には恒久的な自転車駐車場の整備が必要であると、強く要望致しますがいかがでしょうか。区のご所見をお聞かせ下さい。 【⇒-②答弁】 必要な規模を精査して、引き続き確保が図れるよう都と協議する。 【質問4-③】 光が丘駅周辺で最大の収容台数2220台を持つ、光が丘自転車駐車を撤去しなければならないという状況からも、再びこの地域に放置自転車が増大してしまう恐れがある。都道や駅前ロータリーの地下を活用した、本格的で機能的な最新鋭の自転車駐車場の整備が必要出ると考えますがいかがでしょうか。 【⇒4-③答弁】 関係機関の協力を得ながら、様々な方策を検討する。 <「田柄川緑道」の再整備について> 【質問5-①】 平成19年の初質問から、これまでも幾度となく、この課題についてお伺いして参りました。その結果、「道路・河川の緑化、『みどりの基本計画』に基づき、水とみどりのネットワークづくりの促進と周辺環境向上のため、田柄川緑道の再整備を進めます。」と、長期計画に位置づけ整備を行う水辺拠点候補地として頂きました。この事については、大変評価させて頂いております。 しかしながら、その後状況は一転し、近年の度重なる時間降水量100ミリを超す、「ゲリラ豪雨」と称される局地的な大雨の被害により、いわゆる田柄川幹線流域もその影響を受け、まずは、緑道の地下を流れる下水道の冠水対策を最優先課題として取り組むことが、必要不可欠な状況となりました。 前志村区長も当地域の事態を重く受けとめて頂き、すぐさま、区長みずからが、都の下水道局長に面会して頂き、豪雨対策に関する要請を行って下さいました。その後、合わせて我が自民党の、練馬区選出の東京都議会議員の働きかけと共に、また被害に遭った町会、あるいは商店街等々を中心とした、3462名にのぼる署名と陳情書を、地元の村上議長と私と代表し、区長にもご同行して頂き、下水道局長に提出をさせて頂きました。 その結果、下水道局では、「経営計画2010」に基づき、石神井川流域の田柄川幹線流域において、新たな下水道施設の検討を3ヵ年で進めるとし、さらには、昨年2月に公表された、「経営計画2013」において、「練馬区田柄・桜川地区」を、新たに浸水対策の重点地区に位置づけ、平成25年度から平成27年度の3ヵ年の間に、まずは、城北公園から北町中学校までの、「第二田柄川幹線」の整備に着手すると伺っておりますが、進捗状況及び、工事のスケジュールはどうなっておりますでしょうか。 【⇒5-①答弁】 26年8月に工事に着手し、城北公園から北町中学校までを平成28年度末までに終え、残りの区間については、平成31年度に完了する。
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上野ひろみ 一般質問(要旨)その1 2015年 1月 23日
定例会
上野 ひろみ
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
<区の広報について> 【質問-①】 全庁を挙げての「戦略的な広報活動」が重要であると、私は思いますが、区長のご見解をお聞かせ下さい。さらに、今年度予算に計上されております、全国自治体初となるコマーシャル作成の進捗状況はいかがでしょうか。このCMの中に、新ビジョンを織り交ぜながら、練馬の魅力を区内外にお示しする最高の媒体となるよう期待をしております。 【⇒1-①答弁(区長)】 広報について、情報はすべて公開し、開かれた区政を実現することを目指している。また、組織体制については、様々な広報媒体を活用したPRをさらに展開するため、組織体制は、当面、区長室を中心に進める。 さらに、広報キャンペーンについては、映像や大判ポスターを活用したこれまでにない手法での広報展開を検討する。 【質問1-②】 「ねりまプロモーション係」を大いに活かして頂き、相談、あるいは連携し、「練馬ブランド」の更なる向上につながるように要望致しましたが、1年半が過ぎた今現在、どの様な状況でしょうか。その成果や課題があればお聞かせ下さい。また、民間採用(広報の専門家)の係長の任期延長はいかがお考えでしょうか。 【⇒1-②答弁】 マスコミ対応や印刷物のデザイン等の研修を実施し、職員の情報発信力を強化している。今後は、これまでの成果を基盤として、係の体制についても任期の延長も含め対応を検討する。 <教育について> 【質問2-①】 平成28年度から三学期制に移行することを、この度、決断して頂きましたが、今後の取り組みやスケジュール、また、三学期制に戻した場合、授業時間数がどのように変化するのか、想定をお聞かせ下さい。 【⇒-①答弁(教育長)】 平成28年度から、これまでの二学期制の成果を生かし、新たな三学期制に移行する。小学校で、数時間、中学校では、10時間程度減少するものと考えている。 【質問2-②】 これまで、我が会派は月2回の土曜日授業を要望して参りましたが、現在どのような検討状況にあるのか、また今後、土曜日授業を拡大するお考えはあるのか、お聞かせ下さい。 【⇒2-②答弁(教育長)】 今後も国や都の動向を注視しながら、必要に応じて回数の在り方について検討する。 【質問2-③】 小中一貫教育について、教育委員会としては、これまで、どの様な検証を行い、評価をされているのでしょうか、お聞かせ下さい。また、今後の小中一貫教育校の展開について、どのようにお考えか、「第二次学校適正配置」の検討状況と合わせて、具体的にお聞かせ下さい。 【⇒-③答弁(教育長)】 小中一貫校教育部会において検証作業を進めているが、異学年間の人間関係の深まりなど、様々な成果が生まれているととらえている。 また、今後の展開については、国の中央教育審議会でも制度化等の検討が進められており、今後は、国の動向を注視しながら、小中一貫校を展開する。 【質問2-④】 学校選択制について、教育委員会としても検証を行い、ある一定の方向性が見えてきているのではないかと推察しますが、適正配置との関わりの中で、今後どの様にお考えかお聞かせ下さい。 【⇒2-④答弁(教育長)】 中学校選択制度について、今後、課題の改善を図りながら、継続していくとの意見がまとめられた。また、区立学校の適正配置については、引き続き個別の検討を積み重ね、新たな小中一貫校の可能性も探りながら、検討する。 平成年第四回練馬区議会定例会 上野ひろみ 一般質問(要旨)その2はこちら://--////練馬区議会自民党 上野 ひろみ://-
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「高齢者パワー」が 日本を救う! 2014年 11月 25日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
今年も 敬老の日に合わせて 総務省統計局から 日本の高齢者に関するデータが公表された 高齢者とは歳以上の人をいうが 今年の高齢者人口は万人 総人口に占める割合は%と いずれも過去最高となった 実に 日本人の4人に1人は高齢者、なのだ 平均寿命は男女ともに80歳を超え 人生は長くなり 身体能力についても 10歳以上若返っているといわれる 例えば 今の60歳代は 昔の50歳代のイメージ、というわけだ 私自身 年齢的には高齢者になるわけだが おかげさまで 健康で仕事もしているし 同世代の仲間も まだ現役でいたり リタイアしていても 地域の活動に積極的に関わったりしている者が多い そういう意味では 元気な高齢者こそが これからの社会の中で 大きな役割を占めるようになるのではないか、と、おもう 高齢者とされる人たちが 自立して生活可能な「健康寿命」を伸ばすには 就労や社会参加、生きがいが必要だとされ 仕事をしている高齢者のほうが より健康である、という報告もある 千葉県柏市では 産官学が協働して 高齢者が互いに支え合い 地域の中で活躍できるコミュニティづくりの 社会実験が行われている 高齢者が 積極的に少子高齢社会を支える試みの効果が 期待されているところだ ところで 今年の敬老の日は 地元貫井の祭りで、神輿を出した 久しぶりの神輿に血が騒ぎ いくつになっても やっぱり祭りはいいものだと、おもった そんな中 御年91歳 人生の大先輩である いまだ現役の、私の後援会長が 元気に参加している姿は とてもうれしいものだった 少し足が弱っているので 椅子に座って見ていたのに そのうち、すっと立ち上がって しっかりとした足取りで、神輿を担いでいるのだ 周りは怪我をする、と心配したが そんなことはどこ吹く風 本人は大満足だったらしく とてもいい表情で 若かりし頃の彼をおもわせる一幕であった 誰もが等しく、歳をとる ある歳にならなければ、わからないことも たくさんあるものだ、と 最近、よく、そうおもう 人生50年といった頃から 人生は倍近い長さになった 長さもさることながら その長くなった人生をどう生きるか よりよく生きるために 社会や地域、施策はどうあるべきなのか 誰もが「老い」と向き合い それに長く付き合わなければならなくなった 現代社会の中において 自分自身が まさにその状況と リアルタイムで向き合っている 年齢を重ねた議員であるからこその 視点と経験を活かすこと これが これからの私にできる そして何より 若手の議員には 決してまねのできない 大きな仕事のひとつだと自負し 気持ちを新たにしている
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「ぼっち席」から 立ちあがれ 2014年 11月 25日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-7
先日、新聞に 「ぼっち席」 という言葉を見つけた 大学の学食で、相席を嫌がり 一人でも周囲の目を気にせず食事をしたい という学生の要望に応えて 一人用の席や 机をアクリル板などで仕切った席を 設けるところが増えており 学生はそれを 「ぼっち席」と、呼ぶのだそうだ 「ぼっち席」なら落ち着ける、 気兼ねせずに座れる、らしい そこには 対人関係が苦手な反面 孤独に見られることも嫌うという 今の若者たちの 複雑な気持ちがあるのだという そういえば、最近 ファーストフード店でも 同じような席を見かけることがある 学生だけでなく 多くの人が 同じような席を求めているということ、なのだろう 私は一人っ子で育ったせいか 一人で出かけたり 食事をしたりすることに抵抗がなく むしろ一人になると ちょっとホッとしたりもするのだが 逆にまた 店のカウンターやテーブルで 知らない人と相席になることにも それほど抵抗が、ない 同じテーブルについた人と なんとなく目が合って、挨拶をかわし たわいもない話をしたりすることもまた 食事の味、というものである お互い それぞれの時間を邪魔しない程度の 名前も聞かない付き合いだが それもまた 出会いであり、何かのご縁であろうと、おもう 同じ時間と空間を共有する ちいさな「つながり」を感じるひとときでも、ある 「ぼっち席」に座って 食事の最中もスマートフォンを操り フェイスブックやといったの中にある「つながり」に夢中になっていながら 同じ「学食」という空間に 実際に存在している、隣の席の学生とは 言葉を交わしたり、相席したりして 「つながる」ことを避ける姿は なんとなく、さみしくは、ないか 何事にも インターネットが欠かせない世の中になり 人との交流までもが 自分の手の中の パソコンや携帯といったものでできるという時代、である 連絡手段はメール、で友達登録すれば、それだけでつながる 逆に登録をやめれば、それだけで関係を断てる そんな世界もあるだろう そこから始まる関係もあるだろうし 上手に使いこなせば 自分の世界を広げることもできよう しかし同時に 生身の自分が 現実の世界で実際に生きていること そしてそこには やはり生身の相手がいることだけは 忘れずにいたい そして 現実の人とのつながりの重さ、大切さを 今一度、心に刻みたい 自分の好きに過ごせる「ぼっち席」から立ちあがり ほんの少しの勇気を持って 隣の人に一声かけ 互いに気遣いながら過ごす相席を試してみろ、と 新聞記事の写真の学生に 声をかけてみた
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言葉と背中 2014年 5月 16日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-11-6
仕事柄 これまでずっと 地元の小学校、中学校の 入学式と卒業式に出席する機会を いただいてきた 小学校では 入学式の時は 歩くのも一生懸命な一年生も 卒業式を迎えるころは 少し気取って、大人びて見える 中学校では 入学式には真新しい制服に まるで着られているように見える一年生が 卒業式の時には 体も大きくしっかりして 頼もしく見える 小学校の六年間 中学校の三年間 子どもたちはそれぞれ 成長していることを、実感する 自分の子どもでなくても とてもうれしく 何ともいえない感動があるのだから 子どもたちの親たちの気持ちは どれほどだろうと、おもう ところで 最近、話題になっているのが 埼玉県の高校教諭が 自分の子どもの入学式に出席するため 職場である高校の入学式を欠席した という話である この教諭は 事前に校長の許可を取り 入学式を欠席することを詫びる文書を作成して 当日休暇を取っていたという 手続き的には 確かに、問題ない、のだろう しかし、である この教諭は 新一年生の担任なのだそうで 受け持たれる生徒たちは 入学式の当日に 自分がこれから一年をともに過ごす人と 顔をあわせることができなかった ということなのだ 初めての環境 初めての仲間、先生 どれほど生徒たちは 緊張し、期待していることか その生徒たちを迎えるはずの 担任がいない、というのは 生徒にとって とてもさみしく、心細く がっかりするできごとだったのではないか 自分の子どもの入学式に出て その姿を見たい、という気持ちを 親が持つのは当然であるし 状況が許せば 休暇をとって出席するという判断も もちろん、あるだろう 考え方は 人それぞれであるから ここでこの教諭の行動を よい、悪いという話をしようとはおもわない だが もし、私が同じ立場であったなら 高校に入学する自分の子どもに こんなふうに 話をしようと、おもう 自分は「学校の先生」という仕事をしている そして今年は 自分の子どもと同じ新入生の担任を務めることになった 学校の先生という仕事は 常に生徒とともに歩むことだから その生徒たちに初めて会うことになる入学式は とても大切なものである 今日、あなたの入学式で 自分の担任の先生がいなかったら どう、おもうだろう? 自分の子どもは、もちろん大切だけれど 学校の先生という仕事をしている限り 入学式は、とても大事な仕事で 休むわけには、いかない だから、あなたの入学式には出られないけれど 自分の仕事として、新入生を迎えるとき あなたのことも、一緒に迎えるきもちでいるよ 親が心から子どものことを 愛して、大切におもっていれば きっとそれは子どもに伝わっているし 伝わっていればきっと、 話をすれば理解できるだろう 親が自分をないがしろにして 仕事ばかりしている、のではなく 自分の子どもを大切におもうのと同じように 自分の生徒を大切にできる すばらしい先生なのだ、と 誇りにおもえるだろう そして 仕事へ向かう親の背中が 仕事の厳しさと大切さ 自分の親の懸命に働く姿を 伝えるはずだ そんな親の姿を 心に刻んだ子どもならば やがて自分が仕事に就いたとき その姿をおもいだして 励みにし、やっていけるはずである 親の言葉と背中で 子どもに伝わるきもちも、ある そう、おもっている
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「出」の字に おもう 2014年 4月 11日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-25
たとえ自分の選挙でなくても 選挙が近づくと 気になる漢字がある 「出」だ 似ている漢字なら 「凸」が、あるだろうか なんとなく 飛び出すとか、突き出すとか そんな雰囲気のある、字である 直近では/告示の練馬区長選、区議補選があり 来年の4月は 統一地方選がある 選挙が身近に感じられるとき いつもおもいだすのは 自分の初出馬のときの、いろいろなことだ そのころ私は 自動車整備業を営んでいて 議員になる、などということは 考えたこともなかった それが それまで地元で支えてきた議員に変わる人間で 次の選挙を戦わねばならない、 では、次は誰なのだ、という話の中で 様々な理由から 私に白羽の矢が立ったのだ、そうだ いきさつはどうあれ お前にやってほしい、という 地元の人たちの気持ちに 押しつぶされそうになるような、毎日だった 大変に悩んだ ずっとお世話になってきた 奈良、薬師寺に 高田好胤猊下を訪ね 「どうしたらよいか、わかりません」 そういうと 好胤猊下は、ただ一言 「関口、アホになれや」 その一言と 薬師如来さん、日光さん、月光さんのお顔を見て 私は 「支えてくれる人たちの気持ちにこたえること、 ただ、それだけのために生きる、アホになろう」 と決意したのだ それから三十余年 アホであることを自覚し アホだからこそ、様々に人に尋ね、教えを乞い アホなりに考えてきた そんな議員生活だったと、おもう 市川房江という 政治の歴史の中では 大きな役割を果たした女性が その仲間に対して残した言葉に 「出たい人より、出したい人」 というものが、ある 私の思想信条として 市川さんやその意思を継ぐ方たちとは 相容れない部分も多くあるが この言葉についてだけは 言い得て、妙、というべきか 自分が議員になった経緯は まさに、この言葉のようであったと、おもう 「出たい」ともおもっていなかった私が 「出したい」とおもってくださった方たちに支えられて 何もかも初めての選挙を戦い 議員となり 紆余曲折はありつつも 三十余年、仕事をする立場を与えていただけていること おかげさま、と、おもわずにはいられない 人生で、ある 今の時代 「出たい人」がいることは 大変よいことだと、おもう 議員という「職」に魅力を感じ その「職責」を担いたいという気持ちを持つ若い力は これからの議会や、政治の場に必要だからだ だが翻って 「出したい人」の意味が 「この人ならば、自分の気持ちやおもいを 議員として議会に、行政に、世に、伝えてくれるはずだ」 とおもえるから「出したい人」なのか それとも 「この人が議員になってくれれば 自分の立場や仕事にとって、メリットがある」 とおもえるから「出したい人」なのか どちらと、とらえられているのか 昨今の選挙は どうも、そこのところが 気になって仕方ない 選挙を采配する人、左右する立場の人の 考え方、やり方ひとつで 「出したい人」という言葉の意味は 大きく変わってしまうのでは、ないか 今回の区長選、区議補選の在り方のなかで 特に気になっているところ、である なぜ、どうして 自分が政治家になったのか 政治家としての自分は、どう在ろうとするのか 政治家としてある限り このおもいを、持ち続けたいと、おもう万区民の生活を左右する 区議会という場に立つ自分と だからこそ、自分がなすべきことはなにか、を 自問自答しながら、少しずつでも前に進もう そんな決心を、している
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いつもと違う 年度初め 2014年 4月 1日
その他
関口 和雄
練馬区議ウェブ議員新聞から
練馬区議会自由民主党
2018-10-10
4月1日は 新年度という新たなスタートとなる すこしばかり 特別な日、である 世の中の会社でも 練馬区でも 今日から新体制となり 人事異動で 新たな職場での生活が始まる者も 自分自身は変わらぬ職場でも 新たな上司、同僚、部下との付き合いが始まる者も それぞれ おもうところは いろいろあるとおもう しかし 自分のおかれた立場で 自分のなすべき仕事をするということだけは どこにいても どんな立場でも変わらない、のだから それぞれの立場で それぞれの気持ちで 少しでも前向きに、元気に 新年度のスタートを切りたいものだ ところで ひとつ、いつもの年度初めと違うことが、ある 区の行政のトップたる区長が、いない 私が新人議員となった時分から 30年以上にわたってずっと 立場は違えど 区政の充実をともにめざし ことあるごとに、腹を割って語り合ってきた 志村区長が、いない 突然の訃報からひと月半だが 彼のいないさみしさと 彼の無念をおもうと 彼とともに過ごした時をおもいだしながら 彼と酌み交わした日本酒を ひとり飲まずにいられない そうすれば 涙も、出る 眠れないことも、ある さみしいのは 志村区長があまりに突然に亡くなったことが すでに 多くの人に忘れられつつあり 身近にいたはずの人間ですら 彼に対する悔やみの気持ちが 薄れつつあるようにおもえること そして 「今度の選挙は、なんだか盛り上がらないな」 という声が 聞こえてきたりすること、である どんな状況で行われるにせよ 選挙は、有権者のもの、なのに、だ それほど 今回の選挙が 区民の気持ちから離れているのだろうかと 不安になったりも、する 志村区長への 本当の弔い合戦なのであれば 近く実施される区長選は 本当に区民のためのものにならなくてはならない しかし現状を見るにつけ 関わっているものたちの 自己満足、自己保身 ひいては 損得勘定ばかりが 見え隠れしたりしていないか そんなふうに、おもえることも、ある もちろん私は 政党に属する区議会議員であるから 自分が自分の立場として 選挙において当然なすべきことを 全力で果たす決意である だからこそ 志村区長の名を語ってあやかろうとしたり また逆に、いたずらに志村区政を非難してみたり そういうレベルでの戦いにはしたくない、と、おもう 真に区民のための区政を 志村区政を超える区政をめざせる区長を選ぶことが 今回の、あまりにも急な区長選に課せられた 課題であり、義務であり、意義であろう そんなことを考えながら 石神井川の桜をながめていたら 「おい、関口さん、定例会も終わって、桜も咲いたし 近々、浅草にどじょうを食いに行きたいな」 そんな 志村さんの声が聞こえた気がして なんだかとても、切なくなった